思い込む人と確認する人 箴言28:11
『28:11 富む者には自分が知恵のある者に見える。しかし、分別のある貧しい者は、彼を調べる。 箴言28:11新改訳2017』
人間は、自信を持つ事が大切だと言われます。
しかし、どのように、それを獲得するのかが、大きな分かれ目になるでしょうね。
この箴言は、その示唆をしています。
自分の持っていると思い込んでいる「富」を万能感の根拠にする人がいます。それを失えば、万能感も自信も吹き飛んでしまうのにです。それは、資金量や資産、高級車、大邸宅、ブランド品などです。腕力、金力、権力、知力とも言えるかも知れませんね。
聖書の中には、「放蕩息子(ルカ15章11~32節)」というストーリーが出て来ます。
生前財産分与を父にお願いし、大金とともに、旅に出て放蕩三昧をし、無一文になるという顛末です。無一文になって、はじめて、父の愛に気づき、父の元に、「僕(しもべ)の心」で戻るというのです。
教訓として、大金や放蕩に群がる人々は、その人に寄り添っているのではなかったのです。それに、気づいたのは、自分を飾り、守るものがなくなったときでした。
メシアであるイエス・キリストは、地上生涯で「心が貧しい人は幸い」と山上の垂訓で語られました。
これは、何の財産がなくても、創造主である神【主】を求めるへりくだった魂(態度)が大切なのです。
それを何が遮るのか?
おそらく、曲がって捻くれた自信です。
ここでは、「分別のある貧しい者」と記されています。
よく、「清貧がイイ」と誤解されがちですが、そうではないと考えています。
どれだけ、財産があっても、無くても、創造主である神【主】に向き合う態度(姿勢)が問われていると言う事なのです。
巨万の富が集結したソロモン王朝は、そのスタートの時点では、何よりも「【主】に知恵を求め」ました。
しかし、貢ぎ物や政略結婚の中に埋没し、ソロモン王は、大きく躓く事になったのです。
人間の一生の間には、さまざまな浮き沈みがあります。
その中で、創造主である神【主】との和解、めぐみによる救いを信仰で受け入れ、天の御国に相応しい人になれる選択をするのが、一番肝要です。
【主】が受容してくださるその愛を感謝しつつ、自己受容をしていくと、不用な罪責感から解放されます。
そこから、他者受容の範囲が広がっていくのです。
自分の存在が、創造主である神【主】に喜ばれていることが、信仰者の最大の自信になるのです。
これは、腕力、金力、権力、知力の自信とは、根元が異なるのですね。
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