身体との対話について

人間の身体を「生理」と「精神」に区分する考え方があります。

しかし、どこで分割できるというものではないので、結論が出ない話の一つかも知れません。

でも、自分自身の中で起きている現象や情報伝達を分析する為には、さまざまな試みは有益だと思います。

立川談志師匠は、噺家として、落語の範囲にとどまらない芸術に広げたという評価があります。

しかし、その境地に至ったからなのか? 「死にたい」いう希死念慮に苛まれるようになったと自ら表現している動画が今でも存在します。

私が、話を聞かせていただく方々は、「自分にとっての活路が見えないから、死ぬしかないように感じる」という表現をされる方が、多いように感じています。

「死にたい」という表現は「もっと生きる方法が知りたい」という願望でもあると考えています。

その談志師匠は、「生理」と「精神」のせめぎ合いが、常にあると言っていました。

これは、当人にとっても、第三者にとっても、霞がかかったようなイメージでしか有りません。

人間が生きていると言うのは、「雲一つない快晴」というイメージとは異なるのでしょうね。

「青春」と言われる世代にも、この葛藤は存在し、そこには、霞みも伴うのです。

時には、1メートル先が見えないほどの霧に包まれることもあります。

ある時には、立ち止まり、意を決して歩を進め、次のコマまで向かって行くのが、生きていくという事のようです。

人間の免疫力の基礎は、ほぼ腸内環境だと言われるようになりました。

ここが、人間の土台として、脳と連携して、身体を動かしているようです。

その腸内の細菌は、それぞれに役割があるようです。

「善玉菌」「悪玉菌」「日和見菌」などと分類されています。

多くの細菌群が、人間を生かしていて、善悪の二元的なものではなく、それぞれに役割があるのです。

思考やマインドの変化は、この「日和見菌」への影響が大きいとも言われます。

無意識のうちに、ネガティブな指令が、日和見菌に伝わり、その方向に身体が誘導されていくというメカニズムがあるのです。

人間の日々の振る舞いが、日和見菌の配置を決めるのですね。

「今日、一日、健やかに、感謝して生きます。」

このような宣言は、日和見菌にも伝わると言う事です。

体調が優れない、病気の宣告をされたと言う状態の方でも、その症状は改善の糸口が見つけられなくても、毎日、仕切り直して、日和見菌を味方にする生き方をしてみたいと考えています。

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