急ぐ人と忠実な人 箴言28:20
『28:20 忠実な人は多くの祝福を得る。しかし、富を得ようと急ぐ者は罰を免れない。 箴言28:20新改訳2017』
信心をしたらとか、ある程度のお金を払ったらとか、欲望が叶うとしたら、どうしますか?
使徒の働きの時代(紀元【A.D.】1世紀)に、そのような話がありました。
ある魔術師が、創造主である神【主】の証をする使徒が行ったシルシ(奇跡)を見て、「それができるパッケージ」を買おうと願い出ました。
魔術師は、もし、それができれば、自分への注目度を上げて、多くの利益を見込めると考えたのです。
彼のライフスタイルがその路線だったのでしょう。
しかし、それは、見込み違いでした。
信仰の表明も、それに近い動機で決意するケースも見受けられます。
でも、それは、本来の的を外す選択になります。
信仰者は、創造主である神【主】の的を射る選択をする必要があるのです。
それは、福音の三要素「メシアであるイエス・キリストは、十字架に架かり死に、葬られ、三日目に復活された事が、自分の罪の贖いであった」を受け入れることが、永遠の祝福の入口なのです。
ここをショートカットする事は、考えない方がよろしいようです。
今は、経済至上主義で、お金の分捕り合いが、地球のあちらこちらで、繰り広げられて居ます。
それに、気をはやらせて、「富を得ようと急ぐ者」が増えているような印象があります。
その中には、成り上がる人も出てきます。
しかし、長続きしない人が圧倒的多数です。
これは、冒頭の箴言が示唆しています。
一方、「忠実な人は多くの祝福を得る」とあるのは、一見、地味に見える選択です。
しかし、コツコツと励む姿勢は、多くの祝福へのプロセスだと言うのです。
農作物などを育てる場合に、個人差が非常に大きいと感じます。もちろん、圃場の環境もありますが、どれだけ、農作物にタイミング良くアプローチができるか? あらゆる要素が良い方向へと向かえば、豊作になります。しかし、どこかに、チグハグな要素が生まれれば、凶作になるという事もありますね。
果たして、一人一人の選択と忠実な歩みは、どこへ向かうのでしょうか?
それは、永遠の幸福へと向かうと聖書は示しています。
それぞれが、自由意志で、懸命な選択をしたいものですね。






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