弁明するパウロ(2) 使徒の働き22:17-29

『22:17 それから私がエルサレムに帰り、宮で祈っていたとき、私は夢心地になりました。
22:18 そして主を見たのです。主は私にこう語られました。『早く、急いでエルサレムを離れなさい。わたしについてあなたがする証しを、人々は受け入れないから。』
22:19 そこで私は答えました。『主よ。この私が会堂ごとに、あなたを信じる者たちを牢に入れたり、むちで打ったりしていたのを、彼らは知っています。
22:20 また、あなたの証人ステパノの血が流されたとき、私自身もその場にいて、それに賛成し、彼を殺した者たちの上着の番をしていたのです。』
22:21 すると主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く異邦人に遣わす』と言われました。」
22:22 人々は彼の話をここまで聞いていたが、声を張り上げて言った。「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない。」
22:23 人々がわめき立て、上着を放り投げ、ちりを空中にまき散らすので、
22:24 千人隊長は、パウロを兵営の中に引き入れるように命じ、なぜ人々がこのように彼に対して怒鳴っているのかを知るため、むちで打って取り調べるように言った。
22:25 彼らがむちで打とうとしてパウロの手足を広げたとき、パウロはそばに立っていた百人隊長に言った。「ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むちで打ってよいのですか。」
22:26 これを聞いた百人隊長は、千人隊長のところに行って報告し、「どうなさいますか。あの人はローマ市民です」と言った。
22:27 そこで、千人隊長はパウロのところに来て言った。「私に言いなさい。あなたはローマ市民なのか。」パウロは「そうです」と答えた。
22:28 すると千人隊長は言った。「私は多額の金でこの市民権を手に入れたのだ。」パウロは言った。「私は生まれながらの市民です。」
22:29 そこで、パウロを取り調べようとしていた者たちは、すぐにパウロから身を引いた。千人隊長も、パウロがローマ市民であり、その彼を縛っていたことを知って恐れた。 使徒の働き22:17-29新改訳2017』

パウロのスピーチから霊的教訓を学びましょう。
17~21節は、神殿での幻についてです。
この幻の記録は、ここにしか出て来ません。

この時、ダマスコ体験から、エルサレムに上るまでに約3年経過しています(,32参照)。

『9:20 ただちに諸会堂で、「この方こそ神の子です」とイエスのことを宣べ伝え始めた。9:21 これを聞いた人々はみな驚いて言った。「この人はエルサレムで、この名を呼ぶ人たちを滅ぼした者ではないか。ここへやって来たのも、彼らを縛って、祭司長たちのところへ引いて行くためではなかったか。」9:22 しかし、サウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた。 使徒の働き9:20~22新改訳2017』

ガラテヤ1:17を重ね合わせると、この使徒の働き9:21と22の間に、アラビヤ滞在の期間が入るのです。

この3年間のパウロの地理的移動は、「回心直後のダマスコ会堂での伝道」、「アラビヤ滞在(現在のヨルダン)」、「ダマスコへの帰還と迫害からの逃避」、「エルサレム訪問と迫害からの逃避」、「タルソへの帰還」となります。

パウロは、エルサレムの神殿で祈っていました。

パウロのスピーチは、ユダヤ人たちに好印象を与えたと思われます。

【主】は『早く、急いでエルサレムを離れなさい。』とパウロに語りかけたのです。使徒たちにとっては、エルサレムは安全な場所ではなかったのです。パウロを殺したいと思っている者がたくさんいたのです。『わたしについてあなたがする証しを、人々は受け入れないから。』と、【主】は、ユダヤ人たちの心を見抜いておられたのです。

19~20節
パウロは、【主】の判断に同意しませんでした。ユダヤ人たちは、パウロが信者を容赦なく迫害してきたことを知っていました。ステパノの殉教の際にも、パウロは重要な役割を果たしていたのです。

【主】よりも自分の方がよく分かっていると思ってしまうのは、人間の弱さです。マタイ16:21~23に記されているペテロの例やマタイ26:31~35に記されている12使徒たちの例もそれが示されています。

21節
【主】は、エルサレムがステパノ同様パウロを拒否することを知っておられたのです。『行きなさい。わたしはあなたを遠く異邦人に遣わす』と次の方向へと天の声を聞いたのです。

これは、使徒の働き9:15~16に記されたパウロへの【主】からの使命への誘いです。ここでは、「王たち、イスラエルの子孫」が意図的に省略され、異邦人が強調されているのです。

『2:13 しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。 エペソ2:13新改訳2017』

異邦人は、「かつては遠く離れていた」と言われています。

パウロは、主によって異邦人伝道に派遣された使徒なのです。

22~23節は、ユダヤ人たちの反応です。
ここまで人々は、パウロの話を静かに聞いていました。パウロが見た2つの幻の話が、効果を発揮し始めたように見えたのです。

ところが、人々は突然、怒りの感情を表わした理由があります。それは、「異邦人」という言葉を聞いたからなのです。彼らは、異邦人伝道そのものに反対しているのではありません。かつて、アッシリアに派遣された預言者ヨナの例があり、また、パリサイ人たちも、異邦人をユダヤ教に改宗させようとしていたのです。(マタイ23:15)

彼らは、ユダヤ教を経由しないで、異邦人に直接メシアを伝えることが問題だと考えていたのです。

これは、異邦人をユダヤ人と同じ位置に置くことに等しく、伝統的なユダヤ人の考え方では、これは究極的な背教という理解に立っていたのです。

23節
人々は怒りを表現しました。「上着を放り投げ」と言うのがそれです。ユダヤ人にとっては、「着物を裂く」のは、深い落胆の表現です。

「ちりを空中にまき散らす」のは、嘆きの表現です。おそらく、ここでは、投げるものがないので、着物とちりを投げているのだと推察されます。

24~29節は、千人隊長との対話です。
この状況の変化に、アラム語が分からない千人隊長は、当惑したことでしょう。暴動がこれ以上広がることは容認できないので、パウロを保護して、その後、取り調べを行うしかないと考えます。千人隊長は、群衆が怒っている理由をなんとしても知りたいと思った事でしょう。

そこで、パウロをむちで打って自白させようとしました(拷問による自白強要)。ローマのむち打ちは、非常に残酷なもので、死に至ることや、後遺症が残ることがありました。パウロはユダヤ人から5度、ローマ人から3度、むちを受けたのです(2コリント11:25)。

25節
パウロは、立ったまま両手両足を2本の柱にくくり付けられたのですが、むち打ちが始まる直前に、パウロは百人隊長に「ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むちで打ってよいのですか」と言いました。ここにも、パウロが敬意を払いながら行動しているという証拠があります。

ローマ市民を裁判にかけないで犯罪人扱いするのは、違法で、ローマ市民は有罪であっても、むち打ちを免れたのです。これらの規定に違反するなら、その者が死刑になるのです。

ですから、パウロは、間接的に自分がローマ市民であることを伝えたのです。百人隊長は、死刑に値する罪を犯す寸前に、その情報を得たのです。

26~28節
百人隊長は、むち打ちを中止し、千人隊長にこのことを報告しました。百人隊長は、言葉だけでパウロがローマ市民であることを信じました。当時は、市民権の証明書は安全な場所に保管されていたからです。もちろん、偽りの自己申告をすると、死刑に処せられたのです。

千人隊長はすぐにパウロのところに来て、パウロから直接、ローマ市民であるという証言を聞き、彼もまた、パウロの証言をそのまま信じたのです。

「私は多額の金でこの市民権を手に入れたのだ」と返答した千人隊長は、「あなたの場合は、もっと金がかかった(賄賂)でしょう」という意味だったのです。皇帝クラウデオの治世(紀元(A.D.)41~54年)には、市民権を買うこと(高額)が可能でした。この千人隊長の名前は「クラウデオ・ルシア」でした。

しかし、パウロは冷静に「私は生まれながらの市民です」と答えました。パウロの祖父か、父が市民権を得たのです。当時、ローマの高官によく仕えた者には、報奨として市民権が付与されていました。また、生まれながらの市民は、市民権を買った者よりも尊敬されていたのです。

29節
ローマ市民を裁判にかけないで鎖につなぐのは、違法です。百人隊長も千人隊長も、自分たちは違法行為を働いたのではないかと恐れたのです。

◆召命と苦難について
使徒の働き9:15~16は、アナニヤがパウロに伝えた【主】のことばです。そのパウロの召命には、イエスの御名のために苦しむことも含まれていました。

イエスの裁判とパウロの裁判には、共通点がありました。それは、「ユダヤ議会(サンヘドリン)の前で」、「ローマ人の総督の前で」、「ユダヤ人の王の前で」行われました。ともに無罪を宣言されたのですが、釈放はされなかったのです。

◆ユダヤ人の不信仰について
①メシアであるイエス・キリストを拒否しました。
②ペテロとヨハネを迫害しました。
③ステパノを殺しました。
④パウロを殺そうとしました。
使徒の働きの中では、このことが最終的な福音の拒否となっています。また、紀元(A.D.)70年にエルサレムが滅びることが決定的となったのです。そして、福音は異邦人世界に広がって行くのです。

◆ユダヤ人と律法について
現在、MJ神学には大きく分けて2つの流れがあります。
①「Torah Observance」グループ(トーラー遵守派)
②「New Covenant Freedom」グループ(新約による自由派)
※数の上で言えば、①の方が主流です。

◆新約聖書は、モーセの律法がメシアの死とともに無効になったと教えています。
メシアであるイエス・キリストを信じる者はモーセの律法から解放されているのです。
参照聖句:ロマ7:5~6、10:4、2コリント3:2~11、ガラテヤ3:19、3:23~4:7、エペソ2:14~15、へブル7:11~18、8:8~13

◆新約時代の信者(MJ(メシアニックジュー)も異邦人も)に適用されるのは、「モーセの律法は無効になり、信者は今や新しい律法の下にいる」という原則です。ガラテヤ6:2では「キリストの律法」、ロマ8:2では「いのちの御霊の原理」これは、モーセの律法とは完全に別個の新しい律法です。ここには、キリストおよび使徒たちから与えられた命令がすべて含まれています。

◆MJ(メシアニックジュー)には、モーセの律法を守る自由も、守らない自由もあるのです。
もし守る場合、それが自らの救いや聖化に役立つと考えるなら、間違いです。

◆異邦人信者には、モーセの律法は最初から無関係のものです。

◆MJ(メシアニックジュー)も異邦人信者も、今はキリストの律法の下にあるのです。一言で表現すると、「聖霊に導かれ、愛の人生を歩みなさい」ということなのです。

わかりやすい聖書ガイド
ヨハネの黙示録スタディノートブック
Amazon Kindle版 ペーパーバック版好評発売中

※紙の印刷版は、ペーパーバッグ版を選択して下さい。