やるか? やらないか? 自分で決めること

人間は、自発的に、決断し、行動するのが基本です。

しかし、現実は、どうでしょうか?

「しなさい」と言われて「渋々やる」というシーンも結構あるのです。

これが、当たり前になっていくと、自分の人生なのに、他人に翻弄される人生になってしまいます。

これを実感している人も、一定数いると想像しています。

誰かに促されて行動することは、その結果を、促した人に転嫁することになります。

不思議なことに、上手く行けば、自分の手柄です。

結果が思わしくなければ、責任回避です。

これは、どこかの段階で、ボタンの掛け違いを修正しておかないと大変な事になります。

ある人は、「したくてたまらない気持ちで、喜んで手伝ってください。」などと協力者を募ります。

この呼びかけは、どちらにとって、理想的なアプローチなのでしょうか?

でも、現実はどうでしょうか?

私は、「自発的に」「必要と感じたら」「できる方は協力ください」とした方が、協力者が受けとめやすいと考えています。

そもそも、ボランティア的な要請には、ニーズややりがいの共有と、人間関係や労いの言葉しか無いと思うのです。

役割や責任を相手に押し付けるようなアプローチでは、崩壊が見えてくるのではと懸念します。

養育の段階で、何歳まで、どのように接するか?

小学低学年くらいまでは、ある程度の指示や促しが必要なのかも知れませんね。

でも、それ以上になると、どうして、その行動が必要なのかを理解して、自発的に行うような取り組みが大切だと思うのです。

自分自身で、決断させるための材料を提供する役割が保護者には求められているのではないでしょうか?

受験でも、就活でも、結婚でも、当事者が「自発的」に「主体的」にと言うのが原則ですよね。

保護者は、一番近くの第三者として、また、最大の理解者として、どのようにアドバイスをして支えるかという難問に取り組む事になります。

この原則に沿えば、その人は、自分で、自発的に、決断し、行動する人生を歩めることでしょう。

時には、少し過干渉になっても、この原則に立ち返るという事が、円滑なコミュニケーションの秘訣なのかも知れないと考えています。

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