西郷隆盛に想いを語る 坂本龍馬
『われ、はじめて西郷を見る。
その人物、茫漠としてとらえどころなし。
ちょうど大鐘のごとし。
小さく叩けば小さく鳴り。
大きく叩けば大きく鳴る。 坂本龍馬』
今も、四国、高知の桂浜と奄美大島の龍郷で、石像が向かい合っていると聞いたことがあります。
二人の対話は、今も続いているのでしょうか?
鹿児島の西郷隆盛に関する展示館で、本人が着ていたというコートを着せてもらったのですが、身長175cmの私でも、かなりのオーバーサイズでした。西郷隆盛は、かなりの大男だったようですね。
それは、体格だけではなかったようです。
坂本龍馬は、誰かに利用されて、最期は亡き者にされたというのが、近年の評価です。
でも、二人に共通すると感じるのは、未来志向です。
閉塞感の中で、これからの時代についての情熱があったと思うのです。
二人の対話が、再現されるのなら、是非、そばで聞いたみたいものです。
今の時代のように、動画などの記録が残る時代ではなかったので、かなわない話でしょうね。
でも、「小さく叩けば小さく鳴り。大きく叩けば大きく鳴る。」という坂本龍馬の表現は、その対話のスケール感を想像させます。きっと、時間を忘れて、楽しく盛り上がっていたのでしょうね。
もし、二人が、別の時代に出会っていたら、もっと違う展開だったと推察します。
坂本 龍馬(さかもと りょうま、天保6年11月15日〈1836年1月3日〉- 慶応3年11月15日〈1867年12月10日〉)は、日本の幕末の土佐藩士、志士、経営者。諱は直陰(なおかげ)、後に直柔(なおなり)。通称は龍馬[注 1]。他に才谷 梅太郎(さいたに うめたろう)[1]などの変名がある(「手紙と変名」の項参照)。
土佐藩郷士の家に生まれ、脱藩した後は志士として活動し、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中(のちの海援隊)を結成した。薩長同盟の成立に協力するなど、倒幕および明治維新に関与した。大政奉還成立後の慶応3年11月15日(1867年12月10日)に京都河原町通蛸薬師下ルの近江屋において暗殺された。実行犯については今井信郎による自供から、京都見廻組によるものという説が有力であるが[2]、異説もある(詳細は「近江屋事件」を参照)。贈正四位。
西郷 隆盛(さいごう たかもり、旧字体: 西鄕 隆󠄁盛󠄁、1828年1月23日〈文政10年12月7日〉- 1877年〈明治10年〉9月24日)は、幕末から明治初期の日本の政治家、軍人[1]。
薩摩国薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵衛隆盛の長男。諱は元服時に隆永(たかなが)のちに武雄・隆盛(たかもり)と名を改めた。幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助と順次変更。号は南洲(なんしゅう)。西郷隆盛は父と同名であるが、これは王政復古の章典で位階を授けられる際に親友の吉井友実が誤って父・吉兵衛の名で届け出てしまい、それ以後は父の名を名乗ったためである。一時、西郷三助・菊池源吾・大島三右衛門・大島吉之助などの変名も名乗った。
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