アグリッパ王の前で(3) 使徒の働き26:19-32

『26:19 こういうわけで、アグリッパ王よ、私は天からの幻に背かず、
26:20 ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤ地方全体に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えてきました。
26:21 そのために、ユダヤ人たちは私を宮の中で捕らえ、殺そうとしたのです。
26:22 このようにして、私は今日に至るまで神の助けを受けながら、堅く立って、小さい者にも大きい者にも証しをしています。そして、話してきたことは、預言者たちやモーセが後に起こるはずだと語ったことにほかなりません。
26:23 すなわち、キリストが苦しみを受けること、また、死者の中から最初に復活し、この民にも異邦人にも光を宣べ伝えることになると話したのです。」
26:24 パウロがこのように弁明していると、フェストゥスが大声で言った。「パウロよ、おまえは頭がおかしくなっている。博学がおまえを狂わせている。」
26:25 パウロは言った。「フェストゥス閣下、私は頭がおかしくはありません。私は、真実で理にかなったことばを話しています。
26:26 王様はこれらのことをよくご存じですので、その王様に対して私は率直に申し上げているのです。このことは片隅で起こった出来事ではありませんから、そのうちの一つでも、王様がお気づきにならなかったことはない、と確信しています。
26:27 アグリッパ王よ、王様は預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。」
26:28 するとアグリッパはパウロに、「おまえは、わずかな時間で私を説き伏せて、キリスト者にしようとしている」と言った。
26:29 しかし、パウロはこう答えた。「わずかな時間であろうと長い時間であろうと、私が神に願っているのは、あなたばかりでなく今日私の話を聞いておられる方々が、この鎖は別として、みな私のようになってくださることです。」
26:30 王と総督とベルニケ、および同席の人々は立ち上がった。
26:31 彼らは退場してから話し合った。「あの人は、死や投獄に値することは何もしていない。」
26:32 また、アグリッパはフェストゥスに、「あの人は、もしカエサルに上訴していなかったら、釈放してもらえたであろうに」と言った。 使徒の働き26:19-32新改訳2017』

この項では、パウロの宣教、フェストの応答、アグリッパの応答について記されています。

19~23節では、パウロの宣教について記しています。
「天からの幻に背かず」の日本語翻訳文を見てみると、「天からの幻」(新改訳2017)、「天から示されたこと」(新共同訳)、「天よりの啓示」(口語訳)、「天よりの顕示(しめし)」(文語訳)となっています。

敬虔なパリサイ人であるパウロには、神の啓示に従うしか選択肢はなかったのです。次の聖句は、その啓示です。

『26:17 わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのところに遣わす。
26:18 それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。』 使徒の働き26:17~18新改訳2017』

パウロの奉仕の広がりは、時間順ではありませんが、ダマスコにいる人々、エルサレムにいる人々、ユダヤの全地方、さらに異邦人という流れです。これは、まずユダヤ人、次の異邦人という伝道の原則に基づいた描写なのです。

ユダヤ人も異邦人も、ともに悔い改めが必要なのです。

「悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするように」とある「悔い改め」とは、方向転換です。罪にドップリと浸かった生活から創造主である神【主】への立ち返りです。その立ち返りの証拠が、正しい行いなのです。

21節の「そのために」とは、異邦人伝道のことを意味します。パウロは、異邦人はユダヤ教徒を通過しなくても(改宗しなくても)信仰だけで救われると教えました。この教えが、ユダヤ人たちの怒りを買ったのです。砕いて言うなら、パウロは、「アグリッパ王よ、ひどいと思われませんか」と言っているのです。

22節の「このようにして」とあるのは、「しかし」という訳の方が原文のニュアンスに近いのではないでしょうか。

パウロの実感としても、現実としても、創造主である神【主】の守りがあったので、今日まで宣教活動を継続できていたのです。

「小さい者にも大きい者にも」とあるのは、まずは、「若い者にも年配者にも」という意味であり、「身分の低い者にも高い者にも」というニュアンスも含んでいます。

パウロが語って来た内容は、ユダヤ人の預言者たちが預言してきたことだけなのだと証言しています。それは、「キリストは苦しみを受ける。」こと、「死者の中から最初に復活し、」(新改訳2017)とあるように、「死者の中から復活する。」ことです。その福音は、ユダヤ人にも異邦人にも、光を宣べ伝えることになったのです。

24~26節は、フェストの応答です。
「パウロよ、おまえは頭がおかしくなっている。博学がおまえを狂わせている。(新改訳2017)」とフェストは我慢できなくなり、軽蔑の感情を表わしたのです。

「パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ(新共同)」という日本語翻訳文もあります。

この時のパウロは、ルカが記録している以上のことを語ったのでしょう。その衝撃が大きかったことに対する反応です。

フェストは、パウロが博学であることを認めました。この博学とは、ヘブル語聖書(旧契約聖書)に関する知識のことを意味します。しかし、フェストは、パウロが話している内容を理解することができなかったのです。それは、フェストの世界観の中には、死者の復活は存在しなかったのです。ですから、パウロが、このようなことに命を懸けるのは、頭がおかしくなっている証拠だという反応が起きたのです。

21世紀の今も、福音に対して多くの人が同様の反応を示します。

当時のローマ人の死生観は、「肉体の復活は信じない。」、そして、「霊魂の不滅だけを信じる。」というものでした。

使徒の働き17:32に記されているアテネでの反応は、その死生観を反映しています。
『17:32 死者の復活のことを聞くと、ある人たちはあざ笑ったが、ほかの人たちは「そのことについては、もう一度聞くことにしよう」と言った。 使徒の働き17:32新改訳2017』

また、使徒の働き25:19に記されているフェストの言葉にも現れているのです。
『25:19 ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関すること、また死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのです。 使徒の働き25:19新改訳2017』

パウロは、礼儀正しい言葉で「私は、真実で理にかなったことばを話しています」(新改訳2017)と応答しました。

このパウロを模範とすれば、「情熱+礼儀=クリスチャンの性質」と考えることができます。

アグリッパ王は、福音の内容をよく知っていました。「このことは片隅で起こった出来事ではありませんから」というのは、この時、聖霊降臨による教会誕生から、30年が経過していました。

イエスの公生涯、十字架、復活、教会の誕生、宣教の広がり、などは、目撃している人が多い時代ですから、周知の事実で、これらのことは、イスラエルの地ではよく知られていたのです。

27~32節で、アグリッパの応答がありました。

この段階で、パウロとアグリッパの力関係が逆転したのです。パウロがアグリッパを聴聞しているのです。

アグリッパは、神殿の管理者であり、大祭司の任命権者でした。アグリッパは、預言者を信じているはずだとパウロは考えたのです。

もしそうなら、イエスはメシアだと認めるはずだとパウロは、考えたのです。

アグリッパはジレンマを抱える事になりました。それは、「パウロに賛同すると、フェストや他のローマ人の前で面目をつぶすことになる。」でも、「預言者を信じないと言うと、ユダヤ人の反発を買う。」という板挟みになったのです。

アグリッパは、皮肉を用いて回答を拒否しました。その箇所の日本語翻訳文を比較してみましょう。

「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている」(新改訳)
☆「おまえは、わずかな時間で私を説き伏せて、キリスト者にしようとしている」(新改訳2017)
☆「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか」(新共同訳)
「おまえは少し説いただけで、わたしをクリスチャンにしようとしている」(口語訳)

☆印が、原文のニュアンスを表現していると考えられます。アグリッパは、キリスト者になることを拒否したのです。

ここで、パウロは、自分の願いを「私の話を聞いておられる方々が、…みな私のようになってくださることです。」と述べました。「この鎖は別として」と挿入したのは、パウロの皮肉です。

その後、アグリッパ王と総督とベルニケは、立ち上がりました。これは、この聴聞が終わったというしるしであり、同席の人々は、アグリッパ王に敬意を表するという意味で立ち上がりました。

アグリッパ王とフェストは、退場してから、パウロが無罪であることを「あの人は、もしカエサルに上訴していなかったら、釈放してもらえたであろうに」と認めたのです。

パウロは、4回無罪であることが認められました。
①パリサイ人たち(使徒の働き23:9)
②千人隊長クラウデオ・ルシア(使徒の働き23:29)
③ユダヤ総督フェスト(使徒の働き25:25)
④アグリッパ王

使徒の働きの筆記者であるルカは、パウロの裁判や弁明に多くのスペースを割きました。
その理由は、無罪を勝ち取るためで、最終的には、パウロは解放されたのです。
牧会書簡は、解放後に執筆された書簡です。

◆パウロに対する天からの啓示(幻)の内容は、次の通りです。

『26:18 それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。』 使徒の働き26:18新改訳2017』

福音の力は、「霊的に盲目な人たちの目を開き。」「サタンに支配されている人たちを解放する。」「イエスを信じる信仰によって、罪の赦しを得させる。」「聖徒たちとともに相続にあずからせる。」のです。

パウロの啓示(幻)への応答は、使徒の働き26:19~20に記されています。

『26:19 こういうわけで、アグリッパ王よ、私は天からの幻に背かず、
26:20 ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤ地方全体に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えてきました。 使徒の働き26:19~20新改訳2017』

パウロは、2つのことを宣べ伝えました。一つ目は、「悔い改め」についてです。基本的には、心を変えること、認識を変えることです。光に背を向けていた者が、180度方向転換し、光に顔を向けることでなのです。つまり、創造主である神【主】なき生活から、【主】に立ち返ることです。

メシアであるイエス・キリストを通して【主】に立ち返るのです。

2種類の悔い改めがあります。「異邦人的悔い改め(罪の生活からの悔い改め)」、「ユダヤ人的悔い改め(見せかけの宗教生活からの悔い改め)」です。

二つ目は、「悔い改めにふさわしい行い」についてです。これは、信仰表現としての行いが、悔い改めに続くことを示しています。救いは信仰によって与えられますが、救いの確信は行いによって与えられるのです。

そして、その信仰は、行動にも変容をもたらすのです。

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