二つの矢に迷うな 吉田兼好
『初心の人、二つの矢を持つことなかれ、 後の矢を頼みて、はじめの矢に等閑の心あり。 吉田兼好『新訂徒然草』(岩波書店)』
「徒然草(つれづれぐさ)」を読めない人が増えていると聞きます。
古典の教科書で習った世代は、どれくらいまでなのでしょう?
しかし、何かと話題に出てくるのは、その作品の味わいを共有できる要素があるからだろうと考えています。
「つれづれなるままに…」とはじまるので、今で言うとエッセイみたいなイメージでしょうか?
でも、私が認識しているのは、数行にとどまります。
その中に、冒頭のフレーズがあるのですね。
矢と言えば、3人の息子に団結を促した教訓である毛利元就の三本の矢を連想します。
この例えは、「一矢入魂」とか「一射入魂」に繋がるものだと思います。
とにかく、今、握っている矢が的を射ることが出来るように、それに集中するという教えなのでしょうね。
「等閑の心」とは、物事をええ加減に済ませたり、深く心にとめずなおざりにしたりする油断や怠けの気持ちのことです。
緊張感に耐えられずに、気持ちを楽にしようとしても、次の矢があるからと考えるのは、そもそも持っている矢をなおざりにして、矢を射る前から外しているというものですね。
とにかく、「全集中」でベストを尽くすというポリシーを感じます。
矢で的を射るという局面は、自分自身との勝負です。
ほかごとに意識を費やすのは、お門違いだと諭されているように感じました。
卜部 兼好(うらべ の かねよし / うらべ の けんこう)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・歌人・随筆家。出家後の法名の兼好法師(けんこうほうし)が良く知られ、俗名を音読みしたと考えられる。鎌倉および京都に足跡を残す。
著作は、日本三大随筆の一つとされる『徒然草』、私家集に『兼好法師家集』がある。
系譜・氏族・官歴
卜部氏の氏族であり、官位も六位以下と考える説があるが、従来伝わる系譜と官歴の全てが吉田兼倶による捏造であるとの見解もある(後述)。
従来伝わる説では、吉田神社の神官の家系である吉田流卜部氏である治部少輔・卜部兼顕の子。またこの卜部氏は後に吉田氏を名乗ったため、江戸時代以降は吉田 兼好(よしだ けんこう)とも呼ばれる。
生涯
出自
卜部氏は、古代より卜占を司り神祇官の官職を務める家系であり、「卜部氏系図[1]」(『尊卑分脈』)によれば、卜部兼好の父は治部少輔卜部兼顕であり、兄弟に大僧正慈遍、従五位下民部大輔卜部兼雄がいるとされている。兼好の祖父・従四位下右京大夫卜部兼名の代に、吉田神社の神職を務める吉田流卜部氏から分かれた庶流にあたるとされる[2]。







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