表現者と視聴者について
演者と観客は、相互に必要な関係です。
演劇に例えると、お客さんが入らないと成立しません。
無意識な領域でも、家庭の中や、社会の中で、この役割分担が行われていると感じるのです。
底抜けに明るい振る舞いをする子が、一人いれば、その周囲の人たちは、お客さんとして楽しめるでしょう。
明るい振る舞いと書いたのは、その心理的背景にも、気を配る必要性を感じるからです。
お互いに、補完関係が上手く言っていると、精神的にも安定する要素になります。
理想的なのは、時には、立場を入れ替えて、お互いに、その人の表現を知るという環境の構築です。
演者は、表現者と言い換えても良いですね。
人間は、それぞれに、適度な表現を行うことが精神的なバランスを取る方向性だと感じています。
さらに、身近な誰かの表現を見、または、耳を傾けることは、自分と共感できる要素だったり、自分とは違う価値観を得ることができたり、メリットが満載です。
何よりも、相互の関係性を円滑にし、良好にするために必要なステップです。
時には、チャレンジとして、自己表現をして見るというのはいかがでしょうか?
言葉であったり、絵画であったり、自分の心模様をアウトプットすることで、心もスッキリできる可能性があります。
社会的には、当事者と傍観者に分けられる要素があります。
報道されている内容でも、それに関係している人たちが当事者で、無関係な人たちは傍観者に分類されます。
当事者は、共有するテーマについて、何らかの解決を模索する必要があります。
傍観者は、断片的な情報から、想像を膨らまして、うわさ話に花を咲かせることでしょう。
また、傍観者の中には、当事者に、善意の第三者として、アプローチして、助ける人もいれば、一儲けを企む人もいると思います。
うわさ話の多くは、尾ひれ背ひれがついて、事実とは異なる異様な形になって、当事者を困惑させることもあります。
傍観者は、色々な想像や妄想を持っても、余計な詮索をしない方がよいのだと、私は考えることにしています。
むしろ、自分が当事者になるテーマについて、真剣に考える必要があると考えています。
今までになかった衝撃的な事件が表面化している時代、さまざまな局面をイメージして、無用なトラブルを避けたいものですね。
わかりやすい聖書ガイド
ヨハネの黙示録スタディノートブック
Amazon Kindle版 ペーパーバック版好評発売中
※紙の印刷版は、ペーパーバッグ版を選択して下さい。






ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません