私を生かすコトバ(2020クリスマス)

クリスマスを祝う理由を簡単に述べます。時間が無い方は、この項だけお読みください。
サタンの誘惑に騙されて、どうしようも無い状態に陥ったアダムとエバに、やがてメシアであるイエス・キリストが出現し、サタンの頭を砕くと宣告されました。それが、現実になったのが、約2000年前です。そのために、100%神であった御子が100%人として、この世に誕生され、十字架に架けられて死に、葬られて、三日目に復活することが、再び、創造主である神と人間が交流するために必要なコトだったのです。『しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。(ヨハネ1:12)』とあるようにです。ですから、クリスチャンは、もちろんのこと、全人類が無意識にお祝いしてしまうのでしょうね。クリスチャンなら、一緒に、「ハレルヤ!!」と言うことができますね。

さて、お時間がある方は、最後まで読んでくだされば幸いです。

2020年は、コロナ騒動で影響を受けなかった人は皆無だったかも知れませんね。

先行きが見えない不安が、まるでこの世を黒い霧のように覆い、まさに五里霧中という時代です。

非日常は、当たり前と思っていた日常の有り難さをわからせてくれます。

光と闇の戦いも、日に日に激しくなってきているようです。

ピューリタンが入植した希望の国アメリカも、その戦いの舞台の一つですね。

メディアは、青グループの当確を喧伝していますが、結果がどのように確定するのか? 静かに待ちたいです。

でも、その次か、さらにその次に時代が進むというのも、その時が来て、はじめてわかる要素です。現実的に方向性としては、私は聖書に記されている創造主である神が定めている所へ向かうと信じています。 

今、赤グループのリーダーが地位を確保できるならば、やがての時が少し遠くなるだけなのかも知れません。

それよりも、今から、約6000年前に約束されていたコトが、

『主なる神は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前は あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で 呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き お前は彼のかかとを砕く。」(創世記3:15新共同訳)

約2000年前に成就しているのが、

『ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
◆羊飼いと天使
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」(ルカ2:6-14新共同訳)』

なのです。

女の子孫と言われた「メシアであるイエス・キリスト」が、聖霊によってマリアの胎内に宿り、この世に誕生されたのです。

弟子のヨハネは、このように記述しています。

『ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。(ヨハネ1:14新改訳2017)』

天地創造のはるか前から存在する御方が、「コトバ」によって、創造されたように、今の時代にも、一番大切なことを語っています。

『初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。神から遣わされた一人の人が現れた。その名はヨハネであった。この人は証しのために来た。光について証しするためであり、彼によってすべての人が信じるためであった。彼は光ではなかった。ただ光について証しするために来たのである。すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。
 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。(ヨハネ1:1-12新改訳2017)』

「どうして、神様が人間になったか?」が、その中心です。

それは、かつて天上で創造主である神の上に立とうとクーデターを起こした元天使長ルシファが、その地位から堕とされサタンとされました。

創世記に「…彼はお前の頭を砕き お前は彼のかかとを砕く。」と記してある「お前」と言われるのが、エバ(イブ)を騙した蛇、つまり、サタンです。

「彼」と記してあるのが、約束のメシアであるイエス・キリストです。

旧契約時代の信仰は、創造主である神に、羊などの犠牲をすることで自分の贖罪をするという方法でした。そのために、幕屋や神殿があったのです。

でも、究極的な犠牲は、人となったメシアであるイエス・キリストが、十字架に架けられて死に、葬られ、三日目に復活するというステップで完成されるのです。

これが、約2000年前、ローマの属国時代のイスラエルで起きた事実です。

西暦は、メシアであるイエス・キリストの誕生が、BCとADの境目となっています。

一方、旧契約時代と新契約時代の境目は、十字架に架けられて死に、葬られ、三日目に復活された、その時なのですね。

この契約は、新しいとか古いとか、どちらかだけが正しいと言うモノではありません。旧契約は陰の部分であり、新契約が本体の部分であります。両方合わせて成立するモノなのです。

今は、恵みの時代と区分されていますが、この次は、空中携挙と言われる神の子とされている人たちが天上に召し上げられることや、イスラエルにとっての7年間の艱難期などがあり、地上再臨へと歴史が進むと聖書に記されています。

今の世界情勢が、周囲に敵を作ってきたイスラエルが、周辺国との友好関係を表面化していることも、歴史が進みつつある現象だと考えています。

どのような時代であっても、創造主である神と交流ができる神の子としての特権を大切にして、示されている「魂の癒やし」と「愛の源から溢れ出る温もり」を実感していたいですね。

Posted by dblacks