宗教組織の終焉 衰退は顕著 信仰の時代へ

人間が何かを信じるという事が信仰だと私は考えています。

その対象は、「変わらず同じ人だ」という人もいますし、「コロコロ変わる」という人もいます。

あくまで、その人の自由意志なので、何を選択しても自己責任です。

宗教や組織というと、また話は変わってきますね。

宗教は、教祖がいて、崇拝対象がいるという枠組みです。

組織は、秩序だって規律に沿って、まとまるための集団ですね。

そもそも、人間には不安があります。

その不安を解消したいという欲求があり、そのニーズにハマるのが宗教だったりします。

それは、教祖が尊敬できるとか、そこに属している人が親切だとか、所属感が持ちたいなど、様々な選択の仕方があります。

人間は、目に見える形や集団に安心感を求める傾向があります。

しかし、飛ぶ鳥を落とす勢いだった集団も、何かでつまずき、凋落していくこともあります。これは、歴史上、人間が眺めてきた光景の一つです。

そうなると、そこに属していることに、不安を感じて、脱退しようという動きが加速します。そして、終焉を迎えるのです。

世界一の流通量を誇った宗教銀行も、曲がり角を迎えたようです。これから、どうなっていくのか?

宗教や組織の生命力は、資金力と直結します。

資金がショートすれば、大きな建物があっても、機能しなくなります。

「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」

などと、平家物語の冒頭の一節を思い出します。

「寄らば大樹の陰」という言い回しもあります。

人間の不安な現実をどのように回避するのかという時に、目先に見える選択肢です。

しかし、世の中に、絶対安全な場所などないのです。昔は、「雷が鳴れば大木のそばに」と言われたものですが、それで、死亡例が出たので、昔の常識は通用しなくなりました。今のところ、避雷針がある東屋が安全な避難場所になると言われています。

大切なのは、自分で考えて、自分の自由意志を行使することです。

私は、小さい頃から、キリスト教プロテスタントの流れを味わってきました。その源流をさかのぼっていくと、創造主である神【主】にたどり着き、宗教や組織によるノイズを排除し、直結の信仰を確立できたと考えています。大切なのは、「タテの愛」と「ヨコの愛」です。今、「ヨコの愛」に取り組んでいます。

目に見えない世界との出会いは感動的ですよ。それは、最強で最高だと考えています。

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