第三次伝道旅行がはじまる 使徒の働き18:23-28
『18:23 パウロはアンティオキアにしばらく滞在した後、また出発し、ガラテヤの地方やフリュギアを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた。
18:24 さて、アレクサンドリア生まれでアポロという名の、雄弁なユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。
18:25 この人は主の道について教えを受け、霊に燃えてイエスのことを正確に語ったり教えたりしていたが、ヨハネのバプテスマしか知らなかった。
18:26 彼は会堂で大胆に語り始めた。それを聞いたプリスキラとアキラは、彼をわきに呼んで、神の道をもっと正確に説明した。
18:27 アポロはアカイアに渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、彼を歓迎してくれるようにと、弟子たちに手紙を書いた。彼はそこに着くと、恵みによって信者になっていた人たちを、大いに助けた。
18:28 聖書によってイエスがキリストであることを証明し、人々の前で力強くユダヤ人たちを論破したからである。 使徒の働き18:23-28新改訳2017』
◆第三次伝道旅行のはじまる(23)
「アンティオキアにしばらく滞在した後、(23)」
ここで、パウロは、当然、宣教報告を行ったと推測されますが、記者ルカは、アンティオキアでのパウロの活動については報告していません。
パウロは、アンティオキアに戻って約6か月で、第三次伝道旅行に出かけることにしました。それは、紀元(A.D.)53年春で、ちょうど、天候が穏やかになり海路が使える季節なのです。
今回の伝道旅行の最終目的地は、エペソです。使徒の働き18:20~21には、滞在要請を振り切ってエペソから船出しました。また、第二次伝道旅行では、エペソに向うことを超自然的に禁じられたのです。
今回は、同行者なしに、単独でエペソに向い、その途中で、シラスやテモテと再会することを期待していたのでしょう。
「ガラテヤの地方やフリュギアを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた(23)」
パウロは、第一次伝道旅行と第二次伝道旅行での宣教地(デルベ、ルステラ、イコニオム、ピシデヤのアンテオケ)を巡り、弟子訓練を行いました。これは、主に教師としての奉仕です。このようにして、徐々にエペソに近づいて行きました。
◆アポロの紹介(24-28節)
ここで場面は、エペソに切り替わります。記者のルカは、パウロがエペソを去って以降にエペソで起ったことを記録しています。アポロというユダヤ人伝道者が、エペソで顕著な働きを展開していたのです。
アポロとは、ディアスポラ(離散)のユダヤ人で、エジプトのアレキサンドリア出身です。アレキサンドリアは、学芸の一大中心地で、大きなユダヤ人共同体もありました。ローマ帝国の中では、アテネ、アレキサンドリア、タルソが3大大学都市でした。
アレキサンドリアは、ディアスポラの地でのユダヤ教の中心地でした。その町出身のアポロは、雄弁な伝道者で、ヘブル語聖書に精通していたのです。おそらく、アレキサンドリアで、弁論術の訓練を受けたのだと推察されています。
アポロは会堂で、聖書に基づいて、イエスこそメシアであることを正確に教えていました。「主の道」とは、キリスト教信仰のことを意味します。彼のイエスに関する知識は正確でしたが、十分ではなかったのです。「ヨハネのバプテスマしか知らなかった」と記されているのは、アポロの理解度は、イエスの十字架以前の弟子たちと同じようなものでした。おそらく彼は、バプテスマのヨハネの弟子であったと思われます。
プリスキラとアキラは、会堂でアポロのメッセージに耳を傾けていました。この信仰熱心な夫婦は、妻の名が先に出ていますが、理由は不明です。彼らは、アポロが語る内容が不十分であることを、すぐに気づいたのです。それで、彼らはアポロを自分の家に招いて、より正確な福音理解を提供したのです。アポロは、霊に燃えていて、この夫婦が提供する新しい情報を喜んで受け取ったことでしょう。
この夫婦は、エペソの信者たちと一緒になってアポロをコリント教会に推薦しました。「兄弟たち」という言葉は、エペソに教会が出来ていたことを示唆しています。パウロか、アキラとプリスキラ夫婦がエペソ教会を設立したのかは記されていません。
アポロは、意図があってかは不明ですが、パウロがエペソに着く前に去りました。やがて彼は、コリントで雄弁な教師として活躍するようになります。その影響力は、コリント教会に「アポロ派」ができてしまうほどでした(1コリ1:12)。
◆コリントでのアポロの奉仕
アポロは、コリント教会の信者たちを大いに助けました。「恵みによって信者になっていた人たち」と記されていて、記者のルカは、「救いは恵みによること」を強調しています。また、アポロは、コリントのユダヤ人共同体に大きな影響を与えました。公然とユダヤ人たちを論破しました。彼は、福音の全貌を知ったので、さらにパワーアップしたのです。アポロは、聖書によって論じ、パウロと同じく、メシア預言を用いてイエスがメシアであることを証明したのです。
☆アポロの信仰の変遷
使徒の働き18:25によると、彼の理解度は、十字架以前の弟子たちと同じようなものでした。それでも、アポロは、イエスがメシアであると信じていたのです。しかし、イエスの十字架の死、復活、昇天、聖霊降臨に関しては無知な状態でした。おそらく、ユダヤ教からキリスト教への移行期においては、このような人が多くいたと推察されています。
アポロの知識の中から、過去20年間に起ったことの情報が欠落しているのです。彼は、バプテスマのヨハネの奉仕を知っていました(おそらく、ヨハネの弟子だった)。そして、バプテスマのヨハネがイエスをメシアだと指し示したことも知っていました。さらに、イエスが公生涯に入ったことも知っていました(イエスの弟子になった)。おそらく、アポロは、イエスの公生涯の結末を見る前に、イスラエルを去ったのでしょう。彼のメッセージは、「悔い改めてイエスをメシアとして受け入れよ」という段階で留まっていたのです。
この段階の彼は、聖霊によるバプテスマを受けていなかったのです。つまり、救われていなかったということになります。聖霊の内住がなく、普遍的教会の一員になっていなかったのです。
福音を理解したアポロは、パウロが築いた土台の上に自らの働きを積み上げて行きました(1コリ3:4~8)。見落としてはならないポイントは、旧約聖書→バプテスマのヨハネ→キリスト教という流れです。
アポロの信仰から学ぶ教訓は、「イエスは救い主だと信じるだけでは、救われていない。」と言うポイントです。正確に言えば、「福音の三要素」を理解し、信じることが必要なのです(コロサイ2:12、ロマ6:3~6)。
☆アクラとプリスキラ夫婦の信仰について
仲の良い夫婦というイメージで、常に、2人の名前が一緒に出てきます。良き人生のパートナーであり、神の国のための同労者です。また、献身的(ロマ16:3~4、1コリント16:19)です。
さらに、状況に対応する柔軟さを持った夫婦です。ローマからコリントへ移動し、コリントからエペソへ移動し、エペソからローマへ移動し、それぞれの場所で忠実な奉仕をしたのです。
そして、謙遜な夫婦です。彼らは、アポロの足りない点を、公の場ではなく、個人的に指摘しました。いつの時代でも、神学校を出たての若い牧師は、霊的に成長した信徒の助言を必要としています。謙遜と恵みに満ちた者でなければ、良き助言者にはなれないのです。





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