充足感と渇望要素について
人生の中で、「充足感」を味わえるのは、どれくらいのステージでしょうか?
成人式を迎える世代は、希望はあり、体力も気力もありますから、「もっと」という気持ちが勝るように感じます。
それが、二回目の成人式を迎える40代には、「不惑」という言葉も浮かびます。
今の時代は、まだまだこれからという三回目は「還暦」当たりです。でも、ある程度の社会生活に区切りをつけたと考える人が一定数いるものの、まだ、「もっと、もっと」とギラギラした人もいますね。
四回目の80代は「傘寿」です。体力差が大きく広がり、認知的にも自他共に気になるお年頃です。
「充足感」は、「我が人生コレで良いというゴール地点」で引き合いに出しているのではありません。
あくまでも、人生の旅路の途中で、自分の人生をどのように評価しているのかというマインドというテーマです。
つまり、「すべてOK」という事ではなく「概ねOK」というニュアンスです。
もう一つは、自分の存在と行為を分けて評価することです。
これでいくと、誰でも「存在としてはOK」なのです。でも、行為は? と問われると、胸をはって「OK」と言える人は少数派です。
自分の行為を「OK」と大声で言いたい人は、実態を確認してからの方が良いのかも知れませんね。
我が人生は、有難い事に「存在としてはOK」で、充足感も「有難いほどOK」という印象です。
行為は、これからの課題ですね。
「もっと、もっと」と取り上げたのは、「渇望要素」です。
人間の欲求は底が見えない沼のようです。
しかし、その欲求が人間を突き動かす原動力になっているのです。
このさじ加減が人生に影響を与えます。
理想的には、「充足感」を持ちつつ、ほどほどの「渇望感」をエネルギーにする生き方だと考えています。
とは言え、現実的には、「充足感」を持つのは、引っかかりを感じて、「渇望感」には、振り回されがちという姿があるのです。
その間で人間は生かされているという認識も必要だと思います。
1日の終わりに、「今日は良い日だった」という締めくくりは、「充足感」を実感することに繋がると思います。
食後の「ご馳走様 おいしかった」という一言も、料理をした人だけではなく、自分に対しても、充足感を確認することになると考えています。
それでも、「渇望感」は、「明日、何が食べたい?」だったりしますが、幸せな渇望感ですね。
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