心の訴えの吟味 箴言18:17
『18:17 最初に訴える者は、相手が来て彼を調べるまでは、正しく見える 箴言18:17新改訳2017』
プロテスタントという言葉は、『1529年にルター派の諸侯や都市が神聖ローマ帝国皇帝カール5世に対して宗教改革を求める「抗議書(Protestatio, プロテスタティオ)」を送った。そのためこの派は「抗議者(プロテスタント)」と呼ばれるようになった。』という歴史に由来しています。
参考:プロテスタントwiki
信仰者に対する迫害は、宗派を問わず、時代を超えてついて回ります。
もともと、政治と思想信条の自由、信仰の自由は、相容れない部分が出てくるものです。
これは、宗教組織内の政治においても、繰り返されているジレンマです。
長きにわたり、継続している組織は、それなりの工夫や、新陳代謝などを経て、器としての組織が残っているのかも知れません。
対立する考え方は、律法主義的なものと、何でも好き勝手な自由主義の二極がイメージできます。
特に、律法主義的なものは、明確な基準がないにもかかわらず、自分は正義で、周囲が間違っているとなりがちなので、トラブルに発展しやすいのです。
宗教組織でなくても、あるあるの問題だと思います。
家庭の中でも、自分だけが正義で、他が間違っているという勢いで、糾弾をすることから、悲惨な結末を生むことさえあります。
冒頭の箴言は「最初に訴える者」と始まりますが、必ずしも、その人が正義なのかは分からないのです。
事件の第一発見者も、当然、容疑者の一人にされるようにです。
世の中、声が大きい人が優位に立つ傾向もあります。
でも、公平な視点で、観察すると、あらゆる歪みを見ることになるのです。
発言するときは、客観的に、公平中立にというマインドで望むと心得たいです。
例えば、パソコントラブルなど、身に覚えがない状況に遭遇したとき、誰かに助けを求めたとします。
そのようなときに、自分の正当性を示したいのか? 自分以外の責任を追及しようとするアプローチに遭遇するケースがあります。
いわゆるアタック感情的なものですが、それを喰らうとダメージが大きいことに気づきました。何とか助けようとしているのに、「お前にも、責任がある」というアプローチをとられると非常に不快です。
今では、自分の身の置き場を確保するように工夫して、トラブル解決に向けてのヘルプをするようにしています。
逆に、自分が、そのような状況に至っても、周囲への配慮を持つことへの意識を持ちたいと考えています。
人生には、トラブルは付き物なので、それさえも、楽しむくらいのマインドを鍛えたいですね。



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