もっと、もっとの、その先は?
「女ってね。生きている限り、もっと、もっとって思う動物みたい。」
このようなコメントを先輩女性からいただきました。
何とも、含蓄がある言葉ですコト。
もちろん、個人のコメントなので、これを吐露したタイプの人はそうみたいという話で、女性が全員という事では、無いと思います。
性別を問わず、そのようなタイプの人は、いるでしょう。
人生を生きていくためには、命ある限り、もっと、もっと、なのは、ある意味正解だと思います。
肝心なのは、その中身ですね。
つまり、充足感があるか? という事です。
それが、感じられないのならば、「不満」だらけの人生になってしまいます。
冒頭のフレーズは、「慢性の不満感」が原因なのかも知れません。
そもそも、人間が肉体的生命を維持していくためには、「欲」は必要不可欠ですよね。
しかし、それが、常に快楽のみの「欲」であるならば、破綻ループを懸念した方がよいでしょう。
でも、より良い将来を求める「意欲」であるならば、賞賛さえされるのではないでしょうか?
ある程度、歩を進めたら、振り返ってみて充足感を味わうステップが大切だと考えています。
そして、次のステップへのロードマップを練るのです。
改善点が、見えたなら、不毛な後悔ループを繰り返すのではなく、今度はどのように考え、どのように実行するかを工夫するのです。
それによって、次への「意欲」を健全化するのです。
たまには、「ごほうび」という考え方も否定はしません。
また、自分の鼻先にごほうびの「ニンジン」をぶら下げる作戦もアリだとは思います。
それよりも、自分の「意欲」が減退しない方向性を探りたいと私は考えています。
肩にチカラが入りすぎてもパフォーマンスに影響が出ます。
脱力しすぎると、使い物にならなくなる懸念があります。
自分の最大のパフォーマンスが出せるマインドを探り、調整をはかりたいですね。
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