福音と救いの関係について 使徒の働き13:23-41
『13:23 神は約束にしたがって、このダビデの子孫から、イスラエルに救い主イエスを送ってくださいました。
13:24 この方が来られる前に、ヨハネがイスラエルのすべての民に、悔い改めのバプテスマをあらかじめ宣べ伝えました。
13:25 ヨハネは、その生涯を終えようとしたとき、こう言いました。『あなたがたは、私をだれだと思っているのですか。私はその方ではありません。見なさい。その方は私の後から来られます。私には、その方の足の履き物のひもを解く値打ちもありません。』
13:26 アブラハムの子孫である兄弟たち、ならびに、あなたがたのうちの神を恐れる方々。この救いのことばは、私たちに送られたのです。
13:27 エルサレムに住む人々とその指導者たちは、このイエスを認めず、また安息日ごとに読まれる預言者たちのことばを理解せず、イエスを罪に定めて、預言を成就させました。
13:28 そして、死に値する罪が何も見出せなかったのに、イエスを殺すことをピラトに求めたのです。
13:29 こうして、彼らはイエスについて書かれていることをすべて成し終えた後、イエスを木から降ろして、墓に納めました。
13:30 しかし、神はイエスを死者の中からよみがえらせました。
13:31 イエスは、ご自分と一緒にガリラヤからエルサレムに上った人たちに、何日にもわたって現れました。その人たちが今、この民に対してイエスの証人となっています。
13:32 私たちもあなたがたに、神が父祖たちに約束された福音を宣べ伝えています。
13:33 神はイエスをよみがえらせ、彼らの子孫である私たちにその約束を成就してくださいました。詩篇の第二篇に、『あなたはわたしの子。わたしが今日、あなたを生んだ』と書かれているとおりです。
13:34 そして、神がイエスを死者の中からよみがえらせて、もはや朽ちて滅びることがない方とされたことについては、こう言っておられました。『わたしはダビデへの確かで真実な約束を、あなたがたに与える。』
13:35 ですから、ほかの箇所でもこう言っておられます。『あなたは、あなたにある敬虔な者に滅びをお見せになりません。』
13:36 ダビデは、彼の生きた時代に神のみこころに仕えた後、死んで先祖たちの仲間に加えられ、朽ちて滅びることになりました。
13:37 しかし、神がよみがえらせた方は、朽ちて滅びることがありませんでした。
13:38 ですから、兄弟たち、あなたがたに知っていただきたい。このイエスを通して罪の赦しが宣べ伝えられているのです。また、モーセの律法を通しては義と認められることができなかったすべてのことについて、
13:39 この方によって、信じる者はみな義と認められるのです。
13:40 ですから、預言者たちの書に言われているようなことが起こらないように、気をつけなさい。
13:41 『見よ、嘲る者たち。驚け。そして消え去れ。わたしが一つの事をあなたがたの時代に行うからだ。それは、だれかが告げても、あなたがたには信じがたいことである。』」 使徒の働き13:23-41新改訳2017』
「だれかが告げても、あなたがたには信じがたいこと」と結ばれているこの流れは、悲しい現実です。
信仰のあり方は、それぞれの自由意志によって、選択されるものです。
この原則は、この時代も今の時代も不変です。
しかし、人間は、完璧な論理を求め、相手を論破すれば、その人が信じるとでも考えがちです。
創造主である神【主】の対応は、人間のそれとは異なります。
一つは、自然界による啓示、もう一つは、御子イエス・キリストによる十字架による完全な贖罪を用意され、忍耐をもって、【主】の時まで待ち続けておられるのです。
初臨のイエスが、ユダヤ人たちに約束され、また、彼らが待ち望んでいるメシアであるという事実は、イエスの十字架の贖い、復活によって、すでに整っているのです。
しかし、ユダヤ人たちの感覚は、そんなはずはないという態度が支配的でしたし、今の多数が、その立場に立っています。
この箇所では、パウロが丁寧に福音の提示をしています。
それは、ダビデ王の血筋から、受肉されたイエスが誕生された事、その先駆者バプテスマのヨハネの存在と働きと証言について語りました。
また、ユダヤ人が、そのイエスをどのように受けとめていたのかについて続きます。
それは、ユダヤ人たちがイエスを拒否し理不尽な理由で、十字架刑に追いやった顛末についても説明しています。
当時のイスラエルは、ローマ帝国の属国で、死刑にする権利がなかったのです。そこで、総督に訴えて、ローマ帝国の十字架刑による死刑が適用されたのです。
ユダヤ人たちは、自分たちの手を下した訳ではありませんが、異邦人の手によって、御子イエス・キリストを殺させたのです。そのローマ人の感覚でも、イエスは無実の義人でした。そこに、一番大切な意味があるのです。
それでも、創造主である神【主】のプランは進展し続けました。
それは、人間の手で葬られた御子イエスの【主】による復活です。これを墓の警備に当たっていたローマ兵たちにとっては、戦慄が走る体験でしょう。「弟子たちがイエスの死体を盗みに来るかも知れないから、しっかり守るように」と指令されていたのに、外からは誰も来ず、中から復活されたとわかる大きな石がのけられ、空っぽになった墓が残されたのです。
ダビデ王の記したメシア預言を詩編から引用して、ダビデ王は死に朽ち果てたが、メシアであるイエス・キリストは、「聖者は朽ち果てることがない」との預言通りに復活されたと語りました。
モーセ律法を完全に守れなくても、「この方によって、信じる者はみな義と認められる」と、福音の本質を伝えました。
人間が、罪を赦され救われるのは、福音の三要素「御子イエス・キリストが十字架(木にかかり)によって死なれたこと、葬られたこと、三日目に復活された事、それは、人間(私)にはどうすることもできない罪をすべて背負ってくださり、その贖いが成就している」を自分に適用することが、唯一の方法です。
つまり、人間は、誰でも、創造主である神【主】のめぐみと、それにすがる信仰によって救われるのです。
ユダヤ人の中で支配的な考え方は、「罪を赦すことができるのは神だけだ」というものです。でも、それが「ナザレのイエス」であるとは、認めたくないというものです。
しかし、創造主である神【主】が用意された方法は、唯一のそれしかなかったのです。
これを受け入れれば「天国(永遠の幸福)、拒否すれば「地獄(永遠の不幸)」という岐路に、人間の一人一人が立たされているのですね。
これは、究極の選択です。







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