魚心あれば水心 日本のことわざ
『◇魚心あれば水心 (日本のことわざ)
江戸時代に上演された「関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり)」という人形浄瑠璃の中の台詞に使われたことで、有名になる。本来は、魚の方に水を思う気持ちがあれば、水の方もその気持ちをくみ取って好意を持つようになる、つまり、相手が好意を持って接してきてくれれば、こちらも好意をもって応じる気持ちになれる、という意味だった。ところが、浄瑠璃の中で、「金を出して暗に八百長を頼む」というところで使われたため、互いに下心をもって良からぬ事をたくらむ、といったあまり好ましくないイメージで使われるようになった。』
時代劇のセリフにも、多用された言葉です。
悪い殿様が、配下の妻を呼び、旦那を出世させるために、ワシの女になれと迫る光景が目に浮かびます。
また、浄瑠璃の「金を出して暗に八百長を頼む」と同じ流れで、悪巧みで結託する時にも、使われる言葉ですね。
本来の健全な意味は、置き去りにされますが、悪い場面で、多用されるとインパクトが大きいと感じますね。
世の中の権力構造には、この悪用が蔓延り続けているように感じて居る人も多い事でしょう。
今の時代、何次かわからない末端の請負業者が、赤字にしかならない仕事を回されていると聞きます。
これは、聞くだけで、その辛さがヒシヒシと伝わって来ます。
傍観者としては、「そんな仕事は断らなきゃ」と思います。
でも、ギョーカイとしては、深刻な問題です。
とどのつまりは、誰かがいのちを担保に清算をする事になるのではないかとの懸念を持ちます。
元請けは、落札をしたら、配下のグループに実務を割り振るようです。そこから、さらに、割り振られ、これが繰り返されると、赤字ばかりが回ってくると言う現象になるのです。
これは、建設に限らないようです。
大手は、施工責任を負うものの、作業をしないで、ガッポリと経由料を確保しているようです。それが、どこに流れているのかわかりませんが、興味深いですね。
かなり、寂しい話しになってしまいました。
でも、本来の「魚心あれば水心」という良好な関係を持てる人は幸せなのだと感じます。
お互い居るのが当然だと「空気のような存在」も、たまには、再確認が必要だと思いました。
うおごころ【魚心】 あれば水心(みずごころ)
( 魚に水と親しむ心があれば、水もそれに応じる心をもつ意から ) 相手が自分に好意をもてば、自分も相手に好意をもつ用意があることのたとえ。相手の態度によって、こちらの態度もきまるということ。水心あれば魚心。網心あれば魚心。
[初出の実例]「それともに取って見ようと思ふなら、魚心あれば水心あり」(出典:浄瑠璃・関取千両幟(1767)二)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例






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