ヨハネの黙示録第5章スタディーノート

ヨハネの黙示録5章『七つの封印の巻物と屠られた姿で立つ子羊』
5:1 七つの封印で封じられた巻物
5:2~4 封印を解くにふさわしい者は誰か?
5:5~7 ほふられたと見える小羊(5:5~7)(屠られた姿で子羊が立っている)
5:8~14 子羊への礼拝
 
ヨハネの黙示録第5章スタディーノート
(1)七つの封印で封じられた巻物(5:1)
 『御座に着いておられる方』は、父なる神(第一位格)です(ヨハネの黙示録4:2参照)。その右手に巻物がありました。
 それは、ギリシャ語で「ビブリオン」、つまり「バイブル」の語源です。歴史をたどると、紀元1世紀には、パピルスの巻物が用いられたので、これもパピルスと考える方がよいのかも知れません。巻物は、パピルスを糊で繋いだものでした(最大20枚、9メール)。通常は、巻物の片面(パピルスの繊維が横に並んでいる側)にだけ文字を書いたようです。この巻物は、両面に文字が書き記されていました。
 エゼキエル2:9~10にも、両面に文字が書かれた巻物が登場しています。エゼキエルの召命は、神の裁きの宣言と深い関係があります。
 ヨハネの黙示録の巻物の内容も、神の裁きで、『七つの封印の裁き』と呼びます。
 『七つの封印』とあるのは、巻物が七巻ではなく、一巻です。当時、ローマ人もユダヤ人も、巻物(契約書や遺言など)に封印をする習慣を採用していました。
 糸で巻物を縛り、その上に封印をするのです(蝋の封印)。糸を解こうとすると、封印を破らなければなりません。また、重要な文書は、七人の印を押した七つの封印で封じる習慣もありました。さらに、ローマ時代、遺言は七つの封印で封じられることが多かったのです。※著者のイメージで作成した巻物のモデルです。答え合わせはやがての時に。

7つの封印の巻物 太

 『七つの封印』は、巻物の内容が完璧で権威があることを示しています。
 ヨハネの黙示録では、封印が徐々に解かれて行き、それに従って、巻物の内容が部分的に読めるようになって行くのです。でも、ヨハネは巻物の内容を一度も読んでいません。封印が解かれた後の幻を見せられて記しているのです。
 新しく封印が解かれるたびに、超自然的な現象が起こります。これらの現象は、巻物に書かれた内容そのものだと推察されます。
 
(2)封印を解くにふさわしい者は誰か?(5:2~4)
 ひとりの強い御使い(ガブリエル?)が大声で告げた。
 ヨハネの黙示録には『大声で告げている』のが20回出て来ますが、ここが最初です。
 『巻物を開き、封印を解くのにふさわしい者はだれか』とは、この巻物の内容は、『七つの封印の裁き』です。その巻物を開くことのできる者は、被造世界にはいませんでした。『天でも地でも地の下でも』は被造世界を指す表現です。
 この場合、『ふさわしい』とは、「聖」であるという意味ではありません。もし、それが「聖」であれば、父なる神(第一位格)も聖霊(第三位格)も、共に『聖なる神』です。『巻物を開き、封印を解くのにふさわしい』とは、どういう行為を行ったかということと関係しているのです。
 ふさわしい者が見つからない情景を見てヨハネは、『激しく泣いた』のです。
 
(3)ほふられたと見える小羊(5:5~7)(屠られた姿で子羊が立っている)
『屠られた姿で子羊が立っている(新改訳2017)』
『ほふられたと見える小羊(新改訳第3版)』
 二十四人の長老のひとりがヨハネに『泣いてはいけません。』と声をかけました。それは、「泣くのを止めさない」という意味です。七つの封印を解くことのできる方がいることを告げます。
 『ユダ族から出た獅子』とあるのは、「獅子」の例えは第一義的にはキリストに属するものです(創世記49:9参照)。ペテロは、悪魔(サタン)を獅子に例えています(1ペテロ5:8参照)。
『ダビデの根』(新改訳第3版)(新改訳2017)
『ダビデのひこばえ』(新共同訳)
『ダビデの若枝であるかた』(口語訳)
 旧約聖書の参照箇所は、イザヤ11:1、10に同様の表現があります。
 キリストは、ダビデの子孫(系図)でありダビデ契約を成就する方(2サムエル7:12~16)であり、その方は、すでに勝利者となられたのです。
 それゆえ、『その巻物を開き、七つの封印を解くことができます』と記されているのです。イエスは十字架にかかり、死に、葬られ、三日目に復活されました。その御業と知恵のゆえに、その巻物を開き、七つの封印を解くことができるのです。
 
 ヨハネは、父なる神の御座と長老たちの間に、子なる神(第二位格)を見ました。
 
 『ほふられたと見える小羊』(新改訳第3版)という表現は、『小羊は、今は生きているが、見かけ上は、犠牲のいけにえのしるし(手と足に釘の跡が残っていた)』がある状態です。『ほふられた』とは、「いけにえにするために喉を切り裂かれた」という意味です。この子羊は、十字架で死に、復活したキリストです。
 新改訳2017では、『屠られた姿で子羊が立っている』と翻訳されています。『罪を取り除く神の子羊』として、贖いを果たし、復活した御方こそ、キリスト(第二位格)なのです。
 
 『七つの角と七つの目を持っていた』とある「七つの角」は、キリストの全能、完全な支配を表します。「七つの目」は、キリストの全知を表します。
 『その目は、全地に遣わされた神の七つの御霊であった。』とは、キリストの遍在を表す比ゆ的言葉です。
 
 巻物を開ける資格のある子羊(第二位格)は、父なる神の右の手から巻物を受け取ります。「獅子」と「子羊」は、共にキリスト(第二位格)を指します。『子羊は初臨のキリスト』を、『獅子は再臨のキリスト』を指しています。
 
(4)子羊への礼拝(5:8~14)
 子羊が巻物を受け取った時から、子なる神(第二位格)の礼拝が始まります。これまでは、父なる神(第一位格)に礼拝が捧げられていました。
 子羊の前にひれ伏す礼拝者たちとは、四つの生き物(御使いたち)、二十四人の長老たち(天に上げられた普遍的教会)です。彼らは、『竪琴と、香に満ちた金の鉢を持って』ひれ伏します。『香は聖徒たちの祈り』の類似表現が詩篇141:2に出てきます。
 
 天に上げられた教会(普遍的教会)を代表する二十四人の長老たちが、それぞれ祈りをキリストに捧げます。多くの御使いたちが、四つの生き物とその礼拝に参加します。その数は万の数万倍、千の数千倍で、賛美の内容は、私たちが天で永遠に唱えるものと同じなのです。
『屠られた子羊は、力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美を受けるにふさわしい方です。』
 被造世界に置かれたあらゆる生き物、無生物が、この礼拝に参加します。『地の下』を、「黄泉にいる死者の霊」と解釈してはなりません。
 『四つの生き物は「アーメン」と言い、長老たちはひれ伏して礼拝した。』と出てきた所で、礼拝のサイクルが最初に戻ります。そのように、子羊への礼拝はいつまでもくり返されます。

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