孫の手の由来「麻姑の手」 中国の故事成語
『◇麻姑(まこ)を倩(やと)いて痒(かゆ)きを掻く
元々は杜甫(とほ)の漢詩による言葉。「麻姑」 に掻いてもらうくらい気持ちのいいこと、という意味である。麻姑とは中国の伝説上の仙女であり、鳥のように爪が長く、「麻姑の手で痒いところを掻いてもらえばさぞや気持ちがいいだろう」という社甫のたとえ話である。これが転じて、物事が思いのままになる様子や、あるいは気配りができていて世話が行き届いているさまを表すのに使われる言葉となった。さらには、「麻姑の手」というのを「孫の手」に転じ、おなじみの背中を掻く道具の名ともなっている。』
「孫の手」というアイテムがあります。
竹製から、伸縮自在の金属製まで、さまざま見たことがあります。
自分が、手の届かないところを掻きたいときには、昔から重宝されています。
でも、「本当の孫の手」で、掻いてもらうのは、もどかしいけれど、うれしいと聞きます。
そのスキンシップができる関係性と、温もりを想像すると、何かジワるものがあります。
そもそも、「孫の手」の由来になる逸話があったのですね。
「中国の伝説上の仙女」が痒いところを掻いてくれるという話し、何か、水墨画の山々と、その谷間にかかる霧を見つめる思いです。
それに、まつわるさまざまな怪談話まで、伝わっている話がありそうだと想像してしまいます。
「かゆいところに手が届く」という配慮は、多くの人が求めることです。
「至れり尽くせり」という表現もあるくらいです。
その様な、有難い状況に出くわすことは、人生の中に、どれほどある事でしょうか?
もし、それに遭遇したなら、天にも昇る気持ちになるのかも知れませんね。
自分が、誰かに、その様な行き届いた配慮ができているだろうか?
そのようにありたいと考えていても、実際には、不行き届きなことが多いかも知れませんね。
相手が過度の負担を感じないように、配慮しながらも、少しでも、かゆいところに手が届くようなアプローチを心がけていきたいと考えています。
また、自分がそのように感じた対応には、心から「有難う」と感謝の気持ちを伝えたいですね。







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