ダマスコ途上のサウロ(パウロ) 使徒の働き9:1-9
『9:1 さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅かして殺害しようと息巻き、大祭司のところに行って、
9:2 ダマスコの諸会堂宛ての手紙を求めた。それは、この道の者であれば男でも女でも見つけ出し、縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。
9:3 ところが、サウロが道を進んでダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。
9:4 彼は地に倒れて、自分に語りかける声を聞いた。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」
9:5 彼が「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
9:6 立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたがしなければならないことが告げられる。」
9:7 同行していた人たちは、声は聞こえてもだれも見えないので、ものも言えずに立っていた。
9:8 サウロは地面から立ち上がった。しかし、 目を開けていたものの、何も見えなかった。それで人々は彼の手を引いて、ダマスコに連れて行った。
9:9 彼は三日間、目が見えず、食べることも飲むこともしなかった。 使徒の働き9:1-9新改訳2017』
後に、使徒パウロとなった、当時は熱心なユダヤ教徒だったサウロのお話しです。
サウロは、現トルコである小アジヤのキリキア出身のギリシャ語育ちのユダヤ人です。
聖書を読んでいると「サウロ」が後に「使徒パウロ」になったと思ってしまいます。
でも、実際には、ヘブル名が「サウロ」で、「パウロ」はローマ(ラテン)名なのです。ギリシャ語で育ち、家庭では、ヘブライ語やアラム語を使い、ラテン語も学ぶという環境でした。
それらは、後々、大いに異邦人伝道で用いられることになります。
サウロは、ディアスポラのユダヤ人で、そのルーツはベニヤミン族で、一族の期待を一身に背負い、幼少の頃からエルサレムの親族に預けられ、パリサイ派の師匠であるガマリエルによる英才教育を受けていたのです。
5歳から聖書教育がはじまり、10歳からはラビ的ユダヤ教(口伝律法)のを受け、13歳で成人式である「バルミツバ」を受けると職業訓練を受けます。
彼自身は、天幕職人になりました。これを元にして、自給伝道(テントメーカー)として活動したのです。
ステパノの石打ちの現場にも姿を見せています。
この時点でのサウロの立場は体制派です。
それは、イエスの弟子たちを迫害することに情熱を燃やしていたのです。
これは、サウロの自覚なき歪んだ正義感でした。サドカイ派とパリサイ派は、対立関係でもあったのですが、共通の敵、イエスの弟子たちを前にして、それを迫害することで一致し、結託していたのです。まさに、「敵の敵は友」という状況です。
その範囲が、エルサレムから、人間が住み続ける最古の町ダマスコへと拡大していったのです。
エルサレムから約240km、馬で6日間の行程も、そろそろ終盤というタイミングで、「天から光」が降ってきたのです。
「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」と、ヘブル名でイエスは呼びかけたのです。
サウロは、おそらく、落馬し、視力を奪われ、人に手を引かれて、町へと移動しました。
サウロは、熱心に主に仕えてきたつもりでしたが、天からの光を伴って語りかけるイエスのアプローチを一身に受けて、「暗黒の絶望」へと誘われたのです。
「暗黒の絶望」は、伝道者も体験する通り道です。
サウロは、3日間、水も飲まない断食をせざるを得ない状態でした。
それは、サウロが、自身の魂を砕かれる時間であり、【主】を待ち望む時だったのです。
その時を経て、サウロは改心へ導かれたのです。
サウロは、心理学で言われる親替えに至ったのです。つまり、パリサイ派のガマリエルという師匠から、ナザレのイエスへと改心を伴った改宗をしたという事なのです。
それは、信仰者の基本である「イエス・キリストとの一体化」なのです。
普遍的教会は、イエス・キリストを頭として、時代を超えた信仰者の集合体である有機体なのです。
改心への顛末は、アナニヤとの項に記すことにします。
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