肉体的生命のサイクル 一回入れば、もう入らなくてもよいと言うお風呂はない

動物は、衛生状態を保つことで、健康も保てるように創られています。

最近では、「お風呂キャンセル界隈」なる種族も登場しました。面倒くさいので入らないのだそうです。やがて、心理だけでなく、健康にも影響が出てくる可能性も懸念されています。

また、「ゴミ屋敷」になる豪邸もあると聞きます。玄関から、お風呂、トイレに至るまで、ゴミと思しき財産で、埋め尽くされるというのです。

そもそも、肉体的生命を保つために、新陳代謝という働きがあり、古くなった皮膚を押し出し、その下から、新しい皮膚が登場するのです。

また、髪の毛もだんだん入れ替わるので、抜け毛は気になりますが、ある程度出てくるのは、当然なのだそうです。

肉体的生命に関して言えば、一回、お風呂に入れば、永久に入らなくてもよいという事にはならないのです。

その理想は、信仰者が、肉体から解放され、やがて「栄化」される時に、実現されます。

その「栄光の体」は、生命を維持するための食事や衛生状態を保つためのお風呂なども必要無いようです。

ただし、楽しむために、食するなどはできるようです。

一口に、キリスト教と言っても、さまざまな教派があります。

それらは、人間が設立した組織です。それぞれが理想とする考え方には、聖書的に矛盾がある事もしばしばです。

その中には、「イエスの十字架でサタンは滅ぼされた。そして、信仰者の罪は完全に消されたので、罪の根が抜かれた。」と教える所もあります。

究極的には、サタンの滅びは確定です。

しかし、サタンは、千年王国の最後に火の池に投げ込まれるのですから、現時点ではまだ、と言うことになります。

また、肉体的生命にある「罪の根」が抜かれたという発想も現実的ではありません。

もし、信仰者から罪が除かれるのなら、その後、罪を犯すことがなくなるはずだからです。

現実的には、肉体的生命の最後まで、アダムから引き継いだ罪の性質を抱えて行くことになります。

そのための御子イエス・キリストの贖いであり、保証なのです。

信仰者が「罪」を犯したと感じたら、創造主である神【主】の御前に悔い改めをすれば良いだけです。

だからといって、罪に浸り続ける放蕩三昧は、信仰者としておかしい状態にあると考えます。

信仰を持つ前と、その後の差は、歴然とあるのです。

信仰者は、罪を犯し続けることが、より苦しくなります。それは、信仰を持つ前は「良心」という見張り役だったのが、信仰者になると「良心」と「聖霊」という手厚い体制になるからですね。

今日も祝福の中を感謝しつつ歩みましょう。

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