野口英世的、努力の考え方 天才への道 野口英世

『努力だ。
 勉強だ。
 それが天才だ。
 誰よりも三倍、四倍、五倍勉強する者、
 それが天才だ。      野口英世「野口英世』(岩波書店)』

今も流通していますが、旧1000円札の肖像の人です。

凡人を自認する私からは、自分には無いと思う才能を感じる人は「天才」と思ってしまいます。

この基準で行くと、周囲は、かなりの天才がいることになります。

でも、野口英世のフレーズによると、人よりも3倍以上勉強する人こそ「天才」だと言うのです。

私的には、ロックフェラー医学研究所というのが気になる所です。

でも、歴史上では、細菌学の研究に従事したという功績が刻まれています。

1歳の時に、囲炉裏に落ちて、左手に大やけどを負い、不自由な生活を強いられたが、後に、アメリカ帰りの医師による手術を受けて、左手の指が使えるようになった。

それが、きっかけで医師を目指す気持ちが芽生えたと記されています。

その治療が受けられたのも、左手の不自由さを訴える作文が発端でした。

彼の文才も努力が、その後の人生の道を切り開いたのでしょう。

自分の不自由さをカバーするほどの努力は、誰かの感染による苦境を助ける努力へと変化して行ったのでしょうか?

その熱意と、努力には敬意を表します。

自分の前にある課題に取り組む努力を続けたいと思わされるフレーズでした。

1000円札の肖像は、北里柴三郎さんにバトンタッチになりましたが、この二人の共通項は、「細菌学」です。何か、金種で、何かの法則があるのでしょうか? 気になります。

野口 英世(のぐち ひでよ、1876年〈明治9年〉11月9日[1] – 1928年〈昭和3年〉5月21日)は、日本の医師、細菌学者。栄典は、正五位・勲二等旭日重光章。学位は医学博士(京都大学)、理学博士(東京大学)。
福島県耶麻郡三ッ和村(現:耶麻郡猪苗代町)[1][2] 出身。高等小学校を卒業して上京し、済生学舎(日本医科大学の前身)に通い、医術開業試験に合格して医師となった。渡米してペンシルベニア大学医学部の助手を経て、ロックフェラー医学研究所研究員となった。主に細菌学の研究に従事し、黄熱病や梅毒の研究で知られる。数々の論文を発表し、ノーベル生理学・医学賞の授賞候補に三度名前が挙がったが、後にその業績の多くが否定された[3]。黄熱病の研究中に自身も罹患し、1928年(昭和3年)5月21日、英領ゴールド・コースト(現在のガーナ共和国)のアクラで51歳で死去。

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