取り付く島もない 日本のことわざ
『◇取り付く島もない (日本のことわざ)
井原西鶴(さいかく)『世間胸算用』が語源であると言われる。二つの意味があり、一つは話しかけている相手がそっけなく話を膨らませるきっかけがないこと、もう一つは頼りとするよすががないことである。 取り付く「暇」ではなく、また、島は海に浮かぶ島ではない。島とは「頼みとすること」「よすが」といった意味合いがある。また一説によれば、「四方から見える山」を省略したものと言われている (「和句解』)。似た言葉としては「けんもほろろ」(けんはキジの鳴き声、ほろろはキジが羽ばたく音)がある。』
これは、人との対話の場面で、たまに起きることです。
話しかけても、素っ気なかったり、適当な応答が無い状態です。
または、伝えたい要件があるにもかかわらず、相手が一方的に話し続けて、埒があかないなどもありますね。
このようなフレーズは、方言的な絶妙な言い間違いがあり、それが通用してしまう要素があります。より良いコミュニケーションのためには、表現の修正を迫るよりも、その対話の内容にフォーカスした方が良いようです。
最近、気になるのは「延々」というのを「永遠」と表現する人が多いことです。おそらく誰かが聞き取れずに、「永遠」という表現を使ったのが広まったのでしょうか? あるいは、大げさな表現として、ワザと「永遠」とした可能性も考えられます。
動画サイトの字幕でも、結構、聞き違いなどが散見されます。
でも、気づいた人が、より適正な表現をしていくしかないのかも知れません。
冒頭のフレーズは、「取り付く島もない」で、「暇(時間?)」ではないのですね。語感が似ているので、聞き取り変換の要素かもと思います。
また、「島とは「頼みとすること」「よすが」といった意味合い」という説明も、なるほどという感覚を持ちます。
昔の表現者のイメージは、その当時の生活感覚などが反映されているように思います。その時代の「島」は、今のように、離島に橋で結ばれるとか、定期航行の船があるとかの感覚はなかったでしょう。
ですから、この表現が、わかりやすかったと想像しています。
「けんもほろろ」(けんはキジの鳴き声、ほろろはキジが羽ばたく音)の説明については、まさに、ヒザを打つ思いです。
先人が紡いだ表現の背景を知る事は、非常に興味深い事です。
温故知新という旅をしているみたいですね。
井原 西鶴(いはら さいかく、寛永19年〈1642年〉[注釈 1] – 元禄6年8月10日〈1693年9月9日〉)は、江戸時代の大阪の浮世草子・人形浄瑠璃作者、俳諧師。別号は鶴永、二万翁、西鵬。
『好色一代男』をはじめとする浮世草子の作者として知られる。談林派を代表する俳諧師でもあった。
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