愚かさとは 箴言27:22
『27:22 愚か者を臼に入れ、きねでこれを麦と一緒についても、その愚かさは彼から離れない。 箴言27:22新改訳2017』
米でも、麦でも、脱穀して、精白して、食するという過程があります。
それに、なぞらえて、説明されている箴言です。
その実を守るために、殻などがあります。
それは、やがて不要な要素になります。
それを取り除かないと食用には向かないという事なのですね。
人間は、肉体的生命に宿っている限りは、有限であり、罪に取り憑かれています。
同時に、愚かさも切り離せない要素の一つです。
しかし、人間には、学習能力があり、それを有効活用すれば、幾分、愚かさから距離をとることも可能になります。
この箴言の指摘は、何度も、何度も、愚かに振り回されている人間を引き合いに出しています。
依存性や常習性は、人間には付き物で、それらの要素を客観的に見ていく知恵が求められていると言うことでしょう。
精白作業するように、「愚か者」を麦と一緒についても、モームリという事ですね。
人間が生かされている環境を冷静に見てみる必要があります。
水や空気は、どこから供給されているでしょうか?
水源も枯渇する時があります。
新しい技術を優先させると、その弊害も出てくると言われています。
トンネルを掘ると、水や温泉の通り道で、それを収めるために現場は四苦八苦しているというのです。
トンネルができた後で、今まで、使えていた水源が使えないという懸念も渦巻いています。
自然現象とされる地震でさえ、温泉などの源泉を止めてしまうこともあります。
生活が便利になることと合わせて、自然環境のことも考えていくことが大切だとの学びですね。
この地球のあらゆる源がどこに繋がっているのか?
これを考えてみる必要があるのではないでしょうか。
それは、聖書に示されているとおり、人間は、創造主である神【主】の存在を知ることが重要だと私は考えています。
愚かを回避するのも、その【主】からの知恵が必要なのですね。
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