逃げるのは悪者? 箴言28:1
『28:1 悪しき者は、追う者もいないのに逃げるが、正しい人は若獅子のように頼もしい。 箴言28:1新改訳2017』
世の中、逃げ出したくなる事がいくつかあります。
でも、その課題に向き合うと逃げ出さないで済むこともあるのではないでしょうか?
イエスの一番弟子を自任していたペテロも、いざ、イエスが捕らえられ、裁判にかけられると、「私はイエスとは無関係だ」と三回も否定しました。
でも、イエスの十字架と復活の後、立ち返りました。
やがて、ヨハネとともに、ペテロはユダヤ70人議会での証言を逃げることなく堂々と行いました。
使徒の働きに記述されている信仰者は、「正しい人は若獅子のように頼もしい。」とあるように、勇敢です。
それは、イエス・キリストを証言するために、いのちを賭けていたという意味においてです。
パウロは、迫害者だった時代には、「この道のもの」と言われる信仰者たちを捕縛しては、投獄をしていました。復活のイエスの光に打たれて、回心してからは、伝道者として、活動したのです。
イエス・キリストと共通するのは、自分のいのちを守る方法があったのに、それを敢えて放棄している点です。
イエスは、その分岐点に立たされた時に、十字架へと着実に歩を進めていったのです。
パウロの場合は、ローマへというイメージです。彼の生涯は、生まれながらのユダヤ人で、ローマ市民権を持ち、パリサイ派の巨匠ガマリエルによる英才教育に始まり、ユダヤ教の幹部になるエリートコース上にいたのです。
それが、復活のイエスの光に打たれ、回心をした時に、ナザレ派のイエスに従ったというよりも、パリサイ派が認めていない「イエスがメシア」というポイントを受け入れて、メシアであるイエス・キリストと一体化し、ユダヤ教の完成に至ったという理解ができます。
パウロにすれば、逃げ場さえない、イエス・キリストからのアプローチだったようにも見えます。
しかし、神の摂理の御手は、人間を完成形に導くのです。
リスクがいっぱいの世の中では、時には、逃げ遅れると大変な事に巻き込まれることがあります。
その点は、切り分けて考えていく必要性を感じています。
『10:13 あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。 1コリント10:13新改訳2017』
信仰者の特権として、【主】への祈りがあります。
その一つは、「耐えられない試練」における「脱出の道」を求めるものです。
自分の格好や体裁を過度に気にすることなく、自分に与えられた課題に逃げずに向き合いたいと考えています。
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