幸せと魔物はセットのようで 太宰治
『一寸の仕合わせには一尺の魔物が必ずくっついてまいります。人間三百六十五日、何の心配もない日が、一日、いや半日あったら、それは仕合わせな人間です。 太宰治』
ヴィヨンの妻(新潮社)からの一節です。
仕合わせ(幸せ)と魔物はセットなのだと、このフレーズでは述べています。
このバランスだと、10倍も魔物が大きい計算になりますね。
幸せでさえ心配のタネになるという、人間の心理を巧みに描写しているように感じられます。
実際には、何も無いという日は、無いのでしょうから、いつも魔物との戦いに明け暮れているのかも知れませんね。
「好事魔多し」などとも言いますが、何事も無いと言うより、何事かはあるというのが、生きている証拠なのでしょうか?
また、人の好意にも、それぞれの思惑が繋がっていると考えれば、絡んだり、こんがらがったりして、収拾がつかなくなることも考えられますね。
しかし、私は、魔物の10分の1の幸せであっても、それを、10倍以上に味わう幸せな人間でありたいなあと考えております。
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