ヨハネの黙示録第20章スタディーノート
ヨハネの黙示録20章『悪魔(サタン)の縛り、千年王国、悪魔(サタン)解放と反乱、大きな白い御座の裁き』
20:1~3 悪魔(サタン)の縛り
20:4~6 千年王国(メシア的王国)
20:7~10 悪魔(サタン)の反乱
20:11~15 大きな白い御座の裁き
ヨハネの黙示録第20章スタディーノート
※この章には、千年王国と大きな白い御座の裁きについて記されています。
(1)悪魔(サタン)の縛り(20:1~3)
『また(1節)』は、ギリシャ語の「カイ」が使われています。ヨハネの黙示録19:1は、『その後』という言葉から始まります。この19章では、「カイ」で始まる節が15箇所もあります。ヨハネの黙示録20章は、その続きで、5節以外の節はすべて、「カイ」で始まっています。つまり、これは、ヨハネの黙示録19章(再臨)とヨハネの黙示録20章(千年王国)は、時間順になっているという意味です。
ヨハネの黙示録19章では、獣(反キリスト)と偽預言者が裁かれます。彼らは、生きたまま『火の池』に投げ込まれます。その次に、再臨のキリストが取り扱うのは悪魔(サタン)です。その悪魔(サタン)を裁くために用いられるのが御使いなのです。
『底知れぬ所の鍵(1節)』とあるのは、悪霊を一時的に閉じ込めておく場所であるアビス(アブソス)を開いたり、閉じたりする鍵を意味しています。
『大きな鎖(1節)』は、悪魔(サタン)を縛るためのものです。
2~3節では、悪魔(サタン)の呼称が、記されています。『竜(ドゥラコウン)』は、悪魔の凶暴な性質を表す比ゆです。『古い蛇(オフィス)』は、創世記3章に登場する蛇への言及です。『悪魔(ディアボロス)』には、敵対する者という意味があります。「サタン(サタナス)」には、敵対する者以外に、糾弾する者という意味があります。
御使いは、悪魔(サタン)を捕らえ、『底知れぬ所(アブソス)』に投げ込んで、そこを閉じ、封印をして縛り、千年の終わるまでは、閉じ込めたままにします。
悪魔(サタン)の縛りのタイミングは、1~3節を見ると再臨後に起こると教えています。
(注)無千年王国説では、初臨の時に悪魔(サタン)の縛りが行われたとされますが、整合性がとれません。
21世紀でも、悪魔(サタン)は活発に動き回っています。
『5:8 身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。(1ペテロ5:8新改訳2017)』
しかし、千年王国では、悪魔(サタン)の惑わしや誘惑はなくなるのです。
『2:4 主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。(イザヤ2:4新改訳2017)』
『11:3 この方は【主】を恐れることを喜びとし、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、
11:4 正義をもって弱い者をさばき、公正をもって地の貧しい者のために判決を下す。口のむちで地を打ち、唇の息で悪しき者を殺す。
11:5 正義がその腰の帯となり、真実がその胴の帯となる。(イザヤ11:3~5新改訳2017)』

『35:1 荒野と砂漠は喜び、荒れ地は喜び躍り、サフランのように花を咲かせる。
35:2 盛んに花を咲かせ、歓喜して歌う。これに、レバノンの栄光と、カルメルやシャロンの威光が授けられるので、彼らは【主】の栄光、私たちの神の威光を見る。(イザヤ35:1~2新改訳2017)』
(2)千年王国(メシア的王国)(20:4~6)
聖書の中で、千年王国に関する啓示は、このたった3節だけです。
そもそも、ヨハネの黙示録が記された目的は、旧約聖書のあちこちに出てくる預言を時間順に並べることで、その中で、大患難時代の説明に6~18章の13章分を必要としました。しかし、千年王国(メシア的王国)に関する記述は、時間順に並べる必要がないのです。
ヨハネの黙示録20:4~6は、旧約聖書にない情報を提供しています。旧約聖書の預言のクライマックスは、千年王国(メシア的王国)です。もし、ヨハネの黙示録の啓示がないなら、千年王国(メシア的王国)が永遠の御国だと誤解してしまう可能性があります。この啓示によって、千年王国(メシア的王国)が千年間続くことが明らかになるのです。ヨハネの黙示録20章には、千年という言葉が6回登場します。
メシアの再臨と千年王国の間には、75日間のインターバルがあると預言されています。
『12:11 常供のささげ物が取り払われ、荒らす忌まわしいものが据えられる時から、千二百九十日がある。
12:12 幸いなことよ。忍んで待ち、千三百三十五日に達する者は。
12:13 あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」(ダニエル12:11~13新改訳2017)』
大患難時代の後半は、三年半(1260日)で、その後、さらに30日が用意されています(1260+30=1290日)。それから、さらに、45日が用意されているのです(1290+45=1335日)。
これは、千年王国(メシア的王国)が出来上がるための準備期間だと考えられています。その期間には、「反キリストと偽預言者が火の池に投げ込まれ」、「悪魔(サタン)が、「底知れぬ所」(アビス)に閉じ込められ」、「生きている異邦人が、裁かれ(羊と山羊の選別)」「旧約時代の聖徒たちと、大患難時代の殉教者たちが復活」などのイベントがあるのです(ダニエル12:2、イザヤ26:19参照)。
また、ダビデの王座が確立され、子羊の婚宴が開かれるのです。
『多くの座…の上に座っている者たち(4節)』とは、十二使徒と教会を意味しています。十二使徒は教会に含まれています。この座に座る者たちには、裁きを行う権威が与えられるのです。
『22:30 そうしてあなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食べたり飲んだりし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族を治めるのです。(ルカ22:30新改訳2017)』
『6:2 聖徒たちが世界をさばくようになることを、あなたがたは知らないのですか。世界があなたがたによってさばかれるのに、あなたがたには、ごく小さな事件さえもさばく力がないのですか。(1コリント6:2新改訳2017)』
『イエスの証しと神のことばのゆえに首をはねられた人々(4節)』とは、大患難時代の前半の殉教者たちです。
また、『彼らは獣もその像も拝まず、額にも手にも獣の刻印を受けていなかった』とは、大患難時代の後半の聖徒たちです。
彼らは復活し、千年の間、キリストと共に統治するのです。『王として治めた』と訳されている言葉は、「統治した」、「支配した」という意味です。
5節前半は、挿入句であり、5節を一括りにして読んではいけません。
罪人(不信仰者)は、千年王国が終わるまでは、復活しないという意味です。罪人(不信仰者)たちは、白い御座の裁きを受けるために復活するのです。
5節後半~6節は、第一の復活は、子羊の贖いを受けて聖なるものとされた義人の復活です。『第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者(6節)』とあり、その人たちは、永遠にキリストの御前に出ることができるのです。祭司は、仲介者を必要としないからです。そして、千年の間、キリストと共に統治するのです。
子羊の贖いを受けて聖なるものとされた義人に対して、第二の死は、何の力も持ちません。第一の死は、肉体の死で、魂と肉体の分離です。第二の死とは、神との永遠の分離で、その行き先は、燃える火の池なのです。
(3)悪魔(サタン)の反乱(20:7~10)
千年王国にも罪は存在します。肉体には、罪の性質が受け継がれているのが、その理由です。千年王国が始まった時点では、不信仰者は存在しません。そうして、千年王国では、ほぼ理想に近いような生活環境が実現するのです。しかし、新しく誕生した者たちの中に不信仰者が出てくるのです。やがて、千年王国の終わり近くには、不信仰者の数が増加していきます。それらの人々を試すために、悪魔(サタン)が底知れぬ所から解き放たれます。罪の性質を持つ肉体は、悪魔(サタン)の感化を受けやすいことが表れるのです。悪魔(サタン)に従う人々は、千年王国の間に誕生した人の中から出るのです。
そして、悪魔(サタン)は、創造主である神【主】に向かって最後の戦いを挑むのです。世界の諸国民を惑わし、欺きと偽りの業を行います。『ゴグとマゴグ』は、その惑わしが広範囲に広がることを表しています。悪魔(サタン)に従う罪人たちの数は、海辺の砂のようになります。
『ゴグとマゴグ』と出ているので混同しやすいですが、この戦いは、エゼキエル38:1〜39:16に預言されている戦い(エゼキエル戦争)に似ています。しかし、エゼキエル書に預言された戦いは、大患難時代の直前に起こります。ヨハネの黙示録20章に記された戦いは、千年王国の最後に起こるものです。
この共通点は共に、イスラエルの民への攻撃です。つまり、ここでは、「ゴグとマゴグ」という言葉が比ゆ的に用いられているのです。
9節で、悪魔(サタン)と異邦人の軍勢は、イスラエルの民に攻撃を仕掛けます。
エルサレムは、千年王国の1000年間平和な状態が続く、キリストによる統治の本丸です(イザヤ2:1~5)。
そこに、無謀にも挑む悪魔(サタン)とその軍勢は、突如降ってくる天からの火で焼き尽くされます。キリストが、ただちにその反乱を鎮圧するのです。
10節で、悪魔(サタン)は、『火と硫黄の池』に投げ込まれ、そこで永遠の苦しみを受けるのです。そこには、獣(反キリスト)も偽預言者も、共にいます。偽の三位一体は、同じ所へ行くことになるのです。さらに、悪霊どもも、『火と硫黄の池』に投げ込まれます(マタイ25:41)。
千年王国の期間、悪霊どもは二箇所に閉じ込められます。そこは、バビロンとエドムです(ヨハネの黙示録18:2、イザヤ34:8~16参照)
悪魔(サタン)の裁きと並行して、キリストに一切の権威が与えられます。
『15:24 それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、王国を父である神に渡されます。
15:25 すべての敵をその足の下に置くまで、キリストは王として治めることになっているからです。
15:26 最後の敵として滅ぼされるのは、死です。
15:27 「神は万物をその方の足の下に従わせた」のです。しかし、万物が従わせられたと言うとき、そこには万物をキリストに従わせた方が含まれていないことは明らかです。
15:28 そして、万物が御子に従うとき、御子自身も、万物をご自分に従わせてくださった方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。(1コリント15:24〜28新改訳2017)』
すべての敵が、キリストの支配に服従します。最後の敵は、悪魔(サタン)ではなく、「死」なのです。千年王国でも「死」は存在します。
人類に死をもたらした張本人は、悪魔(サタン)です。それが滅びた時、「死」もまた滅ぼされるのです。
御子キリスト(第二位格)は、御国を父なる神(第一位格)にお渡しになります。キリストの支配は、すべての敵が滅びるまでと決められているからです。こうして、創造主である神【主】が『すべてにおいてすべて』となられるのです。
(4)大きな白い御座の裁き(20:11~15)
千年王国が終わると白い御座の裁きが始まります。これは、新しい天と新しい地が出現するための準備でもあります。
『大きな白い御座と、そこに着いておられる方(11節)』とは、イエス・キリストです。キリストにすべての裁きが委ねられている状態です(ヨハネ5:22)。
『地と天はその御前から逃げ去り、跡形もなくなった』とは、創世記1章以来、存在していた地と天とが消え去るということです。そして、その次に出現するのが、新しい天と新しい地なのです。
12節で白い御座の裁きがはじまります。それは、あらゆる時代の罪人(不信仰者)たちが裁かれるのです。信仰者がこの裁きを受けることはありません。
『数々の書物(12節)』とは、裁きのために、何種類かの書物で、各人の行ないが記録された書物です。罪人(不信仰者)は、この書物に書かれた内容によって裁かれます。そして、この裁きには、弁護士はいないのです。
『いのちの書(12節)』とは、この地上に誕生したすべての人の名が書き記されたものです。罪人(不信仰者)のままで死んだ人の名は、その書からは消し去られます(詩139:16、69:28、ヨハネの黙示録3:5参照)。その裁きは、『いのちの書』からその名が消されていることを確認した後、『数々の書物』に記された内容に従って行なわれるのです。
『子羊のいのちの書』とは、信仰者(クリスチャン)の名が記されたものです。信仰者の名は、天地創造の前から、その書に記されているのです(ヨハネの黙示録13:8、17:8参照)。
罪人(不信仰者)の裁きには、軽重があるようです。その人に、どれだけの啓示が与えられていたかや、どのような生活をしてきたかが、判断されるようです(マタイ11:20〜24、ルカ12:47〜48、ヨハネ19:11など参照)。
13節では、白い御座の裁きに続いて、第二の復活についての説明がなされます。
『海はその中にいる死者を出した(13節)』とあるのは、からだ(肉体)は、どこで、どのような状態で散らばっていても、復活するという意味です。
『死とよみも、その中にいる死者を出した(13節)』とは、死んだ肉体と魂が、結合することを意味しています。「死」とは墓のことです。
第二の復活とは、すべての不信仰者の復活のことです。まず、反キリストの復活(大患難時代前半のどこか)があります。それは、不信仰者たちの復活の初穂となります。
次に、白い御座の裁きの前に、あらゆる時代の不信仰者たちが復活します。反キリストの復活と不信仰者たちの復活の間には、約千年間の隔たりがあることになります。さらに、第一の復活と第二の復活の間にも、千年間の隔たりがあるのです。
不信仰者の肉体とたましいが合体して、白い御座の裁きを受けるのです。

整理すると、『第一の復活(信仰者の復活)は、神からの栄誉と祝福を受けるため』のものです。『第二の復活(不信仰者の復活)は、神からの裁きを受けるため』のものです。彼らは、自らの行ないに応じて裁かれるのです。
14~15節では、最後の敵は、死について、述べられています。
『15:26 最後の敵として滅ぼされるのは、死です。(1コリント15:26新改訳2017)』
『死とよみは火の池に投げ込まれ(14節)』ます。よみ(ハデス)は、「死」が宿る場所です。
『いのちの書に記されていない者(15節)』とは、不信仰者です。彼らは、火の池に投げ込まれます。『第二の死』とは、創造主である神【主】との『永遠の分離』なのです。





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