争論が好きな人に対して 箴言25:24

『25:24 争い好きな女と一緒に家にいるよりは、屋上の片隅に住むほうがよい。 箴言25:24新改訳2017』

「争い好きな女」というと、糾弾されそうな時代になりました。

でも、この表現で、連想される関係性もありますよね。

ただし、男女問わずに、このようなパターンがある事を考えさせられる箴言です。

「好戦的な人」「負けるのが絶対イヤな人」など、さまざまな人がいます。

その背景には、「自分の思い通りにならないと気持ちが収まらない」という事情があるのでしょうね。

どうしてなのかは、さまざまな要因がある事でしょう。

「争い」は、誰かをターゲットにするように見えます。

しかし、その大半は、「ガミガミ」と訴える人の中にある「マグマ」が原因です。

言われる人に責任があるケースもありますが、それならば、穏やかにアプローチすればスムーズな解決に至るはずですからね。

近年で言うところの「クレーマー」と言われるような振る舞いをイメージします。

その場合は、ターゲットにされる対象者は、巻き込まれるカタチになるのですね。

人間は.それぞれが考える理想が違います。

「こんなハズじゃなかった」という気持ちが心の中で渦巻くという経験は誰にでもあるハズです。

でも、なかなか「これでいいんだ。これで良かったんだ」という島にはたどり着かずに、不満の大海を漂流しているのです。

あえて、そのゲームに乗っかるのも、人生のアトラクションです。

でも、恐らく、底知れぬ「こんなハズじゃなかった」というパワーには、太刀打ちできないでしょうね。

もし、その人が何かのキッケケで、「これでいいんだ。これで良かったんだ」と思える何かに出逢えたならそれは、キセキみたいなものかも知れません。

この箴言は、ガチンコで関わることよりも、距離感を考えさせる方向性を示唆しています。

ターゲットにされる対象者は、自分の安全な居場所の確保が大切でもあります。

また、「不満の大海を漂流している」大切な人が、「これでいいんだ。これで良かったんだ」という島にたどり着けるように願いながらと言うことですね。

空虚な気持ちは、おカネや豪邸でバランスが取れるものではないようです。

かえって、それらが、プレッシャーになっているケースもあるのかも知れませんね。

その島では、「ホンモノの愛」をタップリ味わえるのでしょう。

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