第二次伝道旅行のまとめ 使徒の働き18:19-22
『18:19 彼らがエペソに着くと、パウロは二人を残し、自分だけ会堂に入って、ユダヤ人たちと論じ合った。
18:20 人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、パウロは聞き入れず、
18:21 「神のみこころなら、またあなたがたのところに戻って来ます」と言って別れを告げ、エペソから船出した。
18:22 それからカイサリアに上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてからアンティオキアに下って行った。 使徒の働き18:19-22新改訳2017』
第二次伝道旅行の旅程は、①アンテオケからトロアス、②マケドニア州(ピリピ、テサロニケ、ベレア)、③アカヤ州(アテネ、コリント)、④コリント→エペソ→カイザリヤ→エルサレム→アンテオケ、と完結しました。
パウロは、ケンクレアの港を出て、エペソに着きました。アカヤ州の首都はコリントで、ケンクレアはその港です。また、アジア州の首都はエペソで、巨大な港を有していました。当時、ケンクレアとエペソの間を往き来する船便が、エーゲ海では最も多かったようです。つまり、エペソは、アジアとヨーロッパを結ぶ重要な港でした。
エペソという町は、紀元前(B.C.)1044年に建設された古代からある商業都市です。紀元前(B.C.)4世紀以降、ギリシア風都市となり(アレキサンダー大王と後継者たち)、紀元前(B.C.)2世紀の終わりに、ローマが支配する都市になりました。エペソは、大いに栄えた商業都市で、当然のことながらアジア州の首都となりました。当時の人口は、20~25万人だと推定されます。ユダヤ人にも寛容な町だったので、多くのユダヤ人が住んでいました。それと同時に、魔術やオカルト的風習でも有名だったのです。
世界の七不思議のひとつであるアルテミス神殿(66m×130mもある巨大な神殿、アテネのパルテノン神殿の4倍)がありました。アルテミスは、多数の乳房を持った豊穣の女神のことです。アジアにおける偶像礼拝と売春の中心地であり、地域経済も、アルテミス信仰によって潤っていたのです。
第二次伝道旅行の初期に、パウロはエペソをめざしていたと思われますが、御霊はパウロをトロアスに導き、そこからマケドニアに導いたのです。第二次伝道旅行の終わりに、パウロはようやくエペソを訪問することができたのです。しかし、この訪問は、旅行の途中で立ち寄ったという程度のものでした。とは言うものの、エペソ教会の基礎を築く重要な訪問となりました。
「パウロは二人を残し」とあるのは、恐らく、パウロの伝道を助けるため同行していたプリスキラとアキラは、エペソで船を下りて、この町に数年間留まることになりました。最終的には、紀元(A.D.)57年までにはローマに戻ることになるのです(ロマ16:3)。
「自分だけ会堂に入って、ユダヤ人たちと論じ合った」とあるように、パウロは、単独で会堂に入って行きました。船が出帆するまでの空き時間を、伝道のために用いたのです。彼は、ユダヤ人のためのメシアについて「イエスは、約束のメシアであることを、ヘブル語聖書から」彼らと論じたのです。
エペソのユダヤ人たちは、もっと長くとどまるようにパウロに頼みました。その理由は、さらなる解き明かしを聞きたいと願ったのでしょう。
しかし、パウロは、その願いを聞き入れませんでした。その理由は、「次の祭りまでにエルサレムに着きたいと願っていた。」とあります。その祭りとは、過越の祭りか、五旬節の祭りか、仮庵の祭りか、断定できません。彼は、モーセの律法に慣れ親しんだユダヤ人です。パウロには、律法を守る自由も、守らない自由もあり、律法を守る方を選択していたのです。
パウロが、エルサレムに上る目的は、エルサレム教会(母教会)と指導者たち(ヤコブ)への挨拶やエルサレムで再会する旧友たちへの伝道が考えられます。
「神のみこころなら、またあなたがたのところに戻って来ます」と言ったのは、パウロは、エペソでは伝道の扉が開かれていることを実感していたからでしょう。これは、社交辞令ではなく、本気だったのです。その証拠に、パウロは、一年も経たない内にエペソに戻ることになったのです。
エルサレムへは、エペソからカイザリヤへ約800キロの船旅です。もし、アンテオケに帰るなら、セルキヤに向う船に乗るのですが、エルサレムに上る予定なので、カイザリヤに上陸しました。
そして、陸路カイザリヤからエルサレムへ移動しました。「上り」「下り」は、エルサレムに近づくか、遠ざかるかを表現した言葉です。
パウロは、母教会にあいさつしました。つまり、伝道の報告をしたのです。
そして、エルサレムから北に向いアンテオケへ移動し、第二次伝道旅行が完結したのです。パウロは、さほど時間を置かずに、第三次伝道旅行を始めるのです。
第一次伝道旅行は、約2,240キロを移動しました。第二次伝道旅行(使徒の働き15:40~18:22)は、約2年半で、その倍の約4,480キロ(京都からシンガポールまで約5,000キロ)を移動したのです。
代表的なメッセージは、第一次伝道旅行では、ピシデヤのアンテオケでのメッセージで(使徒の働き13:16)、これは、会堂でユダヤ人に向けて語られたものです。また、第二次伝道旅行では、アテネでのメッセージで(使徒の働き17:22以降)、これは、アテネのアレオパゴスで異邦人に向けて語られたものです。第三次伝道旅行では、ミレトでのメッセージで(使徒の働き20:18以降)、これは、エペソの長老たち(信者)に向けて語られたものです。
パウロを通して、ヨーロッパは福音に触れ、その結果、多くのユダヤ人が救われました。パウロは、異邦人のための使徒として召されました。しかし、ユダヤ人伝道を優先させたのです。テモテ、ルカ、アキラとプリスキラ夫婦などとの出会いがありました。
その結果、多くの異邦人とユダヤ人が救われました。神を敬う異邦人のビジネスパーソン、リディアとその一家の救い、ローマ人の看守とその一家の救い、アテネのアレオパゴスの議員(デオヌシオ)、2人の会堂管理者(クリスポとソステネ)などです。
パウロは、「神のみこころなら(21)」と言い残しました。英語なら「if God wills」です。これは、ユダヤ人たちが使用する常套句です。今でもユダヤ人たちはこの言葉を使います。また、異邦人の中にも使う人は多い。です。この言葉は、神の主権を認めるものです。
この言葉には、2種類の使い方があります。一つは、自分の計画や願いを中心に置いて、「神のみこころなら」と言う人がいます。でも、本来は、神の計画の成就を願い、「神のみこころなら」と言う人が正しい理解に立っているのではないでしょうか?
神の計画の全貌を理解することの重要性を認識すること、そのために、字義通りの解釈を行う必要があり、また、ユダヤ的視点から聖書を読むことも大切なテーマです。







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