正義と公義について 箴言21:3

『21:3 義と公正を行うことは、【主】の前で、いけにえより望ましい。 箴言21:3新改訳2017』

公正とは「[名・形動]公平で偏っていないこと。また、そのさま。(goo辞書)」とあります。

「義」とは、「①人としてふみ行うべき道。利欲を捨て、道理にしたがって行動すること。「義人」「信義」 ②わけ。意味。「義解」「字義」 ③血縁のない者が結ぶ親族関係。「義父」 ④実物の代わりになる物。「義歯」」とあります。

「義」に関しては、聖書的に、もう少し深い意味があります。

それには、漢字の成り立ちについて考える必要があります。

つまり「羊」の下に「我」と構成されています。この「羊」とは、約2000年前に、十字架に架けられたメシアであるイエス・キリストを意味しています。人間は、その下に身を置く事によって、創造主である神【主】の御前に、正しいとされるのです。

ですから、全人類の罪科を完済したメシアである「羊」の下に「我」を置く事を以て、信仰の表明になるのです。

旧約時代には、信仰の表明方法は、犠牲を規定通りにささげることでした。

しかし、創造主である神【主】への態度が伴わない犠牲の献げ物は、形式を満たしているようでも、空しさが伴うものです。

この箴言では、「いけにえ」よりも「【主】の御前での態度」が大切だと諭されているのです。

ダビデ王は、数々の失敗を犯しました。

それを【主】の預言者から指摘されると、素直に悔い改めました。

それは、創造主である神【主】との関係修復です。信仰による悔い改めなのです。

人間には、そのチャンスが与えられていて、それは、イエス・キリストの十字架による贖いによって保証されているのです。

ダビデ王は、信仰者のお手本です。

『51:16 まことに私が供えてもあなたはいけにえを喜ばれず全焼のささげ物を望まれません。
51:17 神へのいけにえは砕かれた霊。打たれ砕かれた心。神よあなたはそれを蔑まれません。 詩篇51:16-17新改訳2017』

これは、赦された実感を詩にしたダビデ王の讃美です。

ここに、本当に創造主である神【主】が喜ばれる「いけにえ」が記されています。

それは、「砕かれた霊」であり、「打たれ砕かれた心」です。

それを蔑まず、喜んで受け取ってくださるのが、【主】なのです。

世の中、形式も大切ですが、その奥にある「霊」や「心」の状態を確認することも必要なのですね。

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