カネも名誉もいらない人 西郷隆盛
『命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)をともにして国家の大業はなしえられぬなり。 西郷隆盛『西郷隆盛——孤高の英雄全軌跡』(新人物往来社)』
理想に燃えて、戦ったのですが、結局、西郷隆盛は何度も島流しになりました。
奄美大島の龍郷町は、彼が穏やかに暮らした土地として知られています。
また、そこに西郷隆盛の像があり、高知の坂本竜馬の像と向き合っているという話しを聞いたことがあります。今頃、二人はどのような会話をしているのでしょうね。
西郷南洲流謫跡【県指定文化財】
西郷隆盛、3度目の潜居地。龍郷集落の白間地区にある。
西郷が愛加那と菊次郎のために建てた新居で、土地の選定にあたっては西郷自ら歩き探したという。
新居は文久元年(1861年)11月20日に完成した。
しかし、薩摩藩からの召喚状が届き、西郷がここで生活したのはわずか2ヶ月だった。
現在の家は明治43年、愛加那の養嗣子龍丑熊によって再建されたものだが、塀は当時のまま残っている。
https://www.town.tatsugo.lg.jp/kikakukanko/shisetsu/miru/45.html
鹿児島の記念館で、西郷隆盛が着ていたという、上着を羽織って記念撮影をしたのですが、かなりサイズが大きかったです。かなりの大男だったのですね。
彼が、国家の大業に携わっていたら、今の日本はどの様になっていたのだろうと思いめぐらします。
日本人が、今、見聞きしているのは、命が惜しく、名誉が欲しく、官位も欲しい、さらに、お金はがっぽり欲しいという政治家や官僚の話しが大半だからです。
実に嘆かわしい時代です。
でも、正常化への希望は持ち続けたいですね。
日本の近代史も、実にきな臭さを感じる要素が満載です。
でも、それを確かめようとしても、スミに塗られて真っ黒になっているのかも知れません。
それらも、いづれ白日の下にさらされる事でしょう。
日本国民のために、最大限配慮された運営がなされる日が待ち遠しいです。
西郷 隆盛(さいごう たかもり、旧字体:西鄕 隆󠄁盛󠄁、1828年1月23日〈文政10年12月7日〉- 1877年〈明治10年〉9月24日)は、幕末から明治初期の日本の政治家、軍人[1]。
薩摩国薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵衛隆盛の長男。諱は元服時に隆永(たかなが)のちに武雄・隆盛(たかもり)と名を改めた。幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助と順次変更。号は南洲(なんしゅう)。西郷隆盛は父と同名であるが、これは王政復古の章典で位階を授けられる際に親友の吉井友実が誤って父・吉兵衛の名で届け出てしまい、それ以後は父の名を名乗ったためである。一時、西郷三助・菊池源吾・大島三右衛門・大島吉之助などの変名も名乗った。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません