口先だけの薄っぺらい人 箴言26:7

『26:7 愚かな者が口にする箴言は、足の萎えた者の垂れ下がった足。 箴言26:7新改訳2017』

箴言に対しての向き合う姿勢を問われているように感じる一節です。

立派に見られても、その実情は、いつかバレるものです。

口から、「ペラペラと理想を語ったり、自慢話をしていないか」、再チェックする必要がありますね。

自分自身が精神的に自立できていない人は、自分以外の何かで、補強したくなるようです。

それが、現実と理想のギャップを広げることになるのです。

いつか、そのギャップは、大きな裂け目となり、それに、自分自身が落ちてしまう事になりかねません。

ハッとさせられるフレーズには、誰かの体験を通じた深い教訓があるモノです。

それを表面上だけ、すくい取っても、空虚さが際立つのですね。

リンゴの薄皮だけでは、リンゴの果実は味わえません。

でも、自信喪失している時には、その傾向が強くなってしまうことを肝に銘じておこうと考えています。

「中身が空っぽな缶ほど、大きな音がする」などと聞くこともあります。

せめて、自分が体験した事から、得た教訓を記したいと思います。

世の中、不思議なもので、「賢者は愚者から学ぶ」と言われます。

どの様な状態の人が発信しているかも大切ですが、どのような情報でも、学べる要素がある事も心に留めておきたいですね。

身体の機能に、支障があったり、加齢によって衰えが出てくる事は、人間として避けようが無い要素です。

でも、どのような事があっても、「心が萎える」のが、一番、深刻な影響を与えると考えています。

理想論に振り回されず、無い物ねだりをせず、あるモノに意識を向けて行きたいですね。

「頑固者のだんまり」ではなくて、「黙々と自分の役割を果たす」という基本を忠実に焦点を合わせる事が大切だと考えています。

周囲の人の観察眼は、実に鋭く、簡単にどこに根ざしているのかを探り当てるのです。

人間は、格好にこだわれる自由を満喫することもできます。

しかし、意外に、外見よりも、内面が漏れ出ていることを理解していない人が多いと感じます。

「ぼろを着てても心は錦」なんて言い回しもあります。

外見を気にするマナー(社会性)も大切ですが、それよりも、大切な要素をこの箴言は示唆しているように感じます。

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