袖すり合うも他生の縁 日本のことわざ

『◇袖すり合うも他生の縁 (日本のことわざ)

よく「袖すり合うも多少の縁」と誤記されるが、正しくは「他生の縁」である。ここでの他生とは前世を意味しており、まったく知らない人と出会ったというのも前世からの縁があってのことだという、仏教的な言い伝えによる。仏教の輪廻転生(今生きている前の人生があり、今死んだ後の人生もある)の考え方がベースとなっている。「いろはがるた」においても、「そ」の項目で取り上げられている。似た言葉としては「一樹(いちじゅ)の陰一河(かげいちが)の流れも他生の縁」、「躓(つまづ)く石も縁の端(はし)」などがある。』

前世という発想は、仏教やヒンドゥー教における「輪廻転生」の考え方に基づき、魂が何度も生まれ変わりを繰り返すという思想に由来します。

私は、キリスト信仰者なので、この立場はとっていません。ただ、興味深いので、考えてみたいと思いました。

この「前世」と言うテーマは、作家やアーティストがタイトルにつけるほど関心が高いものです。

その読み方は、「ぜんせ(前世)」のほか、「さきせ」とか「ぜんせい」などがあるようです。
参照:https://www.weblio.jp/content/%E5%89%8D%E4%B8%96

どのような文脈で使うかによって、読みも変わるようです。

ニホンゴムズカシイ

ただ、不思議と縁を感じる出会いがあったときには、口に出てしまうフレーズでもあります。

この背景にある意味合いである「前世の縁」が良縁であれば良いなと思います。

しかし、「良くない縁」や「腐れ縁」などもありますから、関係性の整理が必要なコトが浮かび上がりますね。

「偶然」な出会いなのか? 「必然」なのか?

運命を感じてしまうほどの出会いだと思えば、どっちでもいい事ですよね。

その良縁を育んで行けば良いのです。

世の中には、似た人が3人いると言われます。気が合う組み合わせは、似たもの同士か、真逆な性格など、不思議なものです。

お互いに引き寄せられ、お付き合いが続く事もあれば、疎遠になる事もあります。

それでも、出会いはワクワクするものだと考えています。

キリスト信仰者がベースにしている聖書では、人間は、創造主である神【主】によって創造された被造物であり、そのいのちは、【主】が吹き込み、魂を授けたとなっています。

そして、現世の肉体的生命があり、福音の三要素を信じる信仰者に与えられるのは霊的生命(永遠の生命)です。これが、「永遠の幸福マインド」の根拠になります。

キリスト者には、前世は、創造主である神【主】との繋がりであり、来世は、「千年王国(メシア的王国)」であり、究極的には「新天新地」なのです。

どのような来世かは、何れ、わかることですよね。

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