だいじょうぶかい? 毎週原点確認
20年以上続いている週一回の自助グループがあります。
本来は、他の名称が使われています。
でも、先日、振り返っていて、「だいじょうぶ会」と呼ぶのが本質に近いと話していました。
責任者はいますが、連絡係みたいなものです。
もちろん、たまには、引き締めるための工夫が必要になります。
でも、何とか20年以上続いてきたのは、ある程度のニーズを満たしていたからだと考えています。
背景には、信仰やカウンセリング的な要素があるのです。
しかし、日々の生活で感じている課題や現実的な対応について安心して話せる場所であると言うことです。
誰かが話せば、他の誰かが傾聴するという、言いっぱなし、聞きっぱなし、プライベートを守るという流れです。
否定をせず、その人の存在を最大限尊重するというスタイルです。
人間は、心の思いを出すコトで、かなり身軽になります。
でも、自分で考えて、自分の環境などを考えると、ある程度の方向性が決まっていることが多いのです。
ですから、「ヘタなアドバイスをしない方がウマく行くのだ」と言うことを学ばせてもらいました。
また、その人の想定を超える結果が出ることもあれば、想定外(期待外れ)の結果に至ることもあります。
それは、それで、また、傾聴して共有するのです。
この姿勢は、「寄り添う」イメージです。
過保護過干渉のアプローチは、お互いに、もたれ合い、絡み合う、ドロドロとした、くり返しになります。
寄り添うのは、その人の精神的自立を強化し、自発的な意志決定を促すのです。
ヘタなアドバイスとは、「あーしてみれば」「こーしてみれば」という無責任な要素が出て来ます。
それを提示するならば、「このような事例がありましたね」という程度に留める方が、良い結果に繋がった傾向を感じます。
できれば、週に一回、お互いに「だいじょうぶかい?」と顔を合わせるのも良いものですね。
確かに、家族が実家に集まる時など、行く度に説教されていたら、行くのもイヤになりますからね。
ハートウオームな空間がある人は、それだけで、幸せを感じられますよね。
でも、このような取り組みは、15人上は難しいコミュニケーションなのかも知れませんね。
カフェなど、職場でも、自宅でも無い、サードスペースという概念がありました。それを言うなら、もう一つの家族みたいな集いですね。
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