神探しをする人間 権力と権威のカラクリ

結論から言えば、聖書の原則に基づけば、創造主が全世界と人間を造られたのです。

ですから、人間は創造主である神の存在を認める以外に選択肢はないようです。

しかし、人間には、自然界を通じての啓示がなされるだけという人が多いために、そのような創造主である神からのアプローチに対して、創造主である神の存在に不安を感じるのでしょうか?

創造主である神の導きによって、ようやく出エジプトを果たしたイスラエルの人達は、モーセがシナイ山に登っている間に、不安を感じて、「金の子牛」をつくり出すという行動に出ました。

人間の歴史は、正に、これのくり返しですね。

自分にとって、欲望や願望を叶えてくれる存在を常に探しているのですね。

そして、見つからなければ、つくりだしてしまうと言う荒技に出るのですね。

人間は、生きていく上で、秩序が必要になってくると、それを裏付ける権威を求められたりします。

そして、絶対的に振る舞う場合には、強権が発動できる権力をどのようにつくりだし、どのように運用するか考えをめぐらすのです。

権力と権威を結び着けると民の心を踏みにじる圧政という厄介なことも起こります。

これらを避けるためには、まず「創造主である神の権威」を認めるところから、再構築することが大切なようですね。

これが、一人一人の心の王国に適用されていくことによって、平和な世の中が実現していくのですね。