ヨハネの黙示録第11章スタディーノート
ヨハネの黙示録11章『二人の証人、ラッパの裁き 第七(大患難時代の後半はじまる)』
11:1~2 神の測り竿
11:3~6 二人の証人の活動
11:7~10 二人の証人の死
11:11~13 二人の証人の復活
11:14~19 第七のラッパが吹かれる … 第三の災い 天にて勝利確定宣言
ヨハネの黙示録第11章スタディーノート
(1)神の測り竿(11:1~2)
『杖のような測り竿』とは、ヨルダン川の岸辺に育つ葦で、成長すると6メートルほどになるもので、それが『測り竿』として与えられます。聖書時代においては、長くて、軽くて、堅い葦が使用されました。
『立って、神の神殿と祭壇と、そこで礼拝している人々を測りなさい。』と、ヨハネは命令を受けました。その声は、おそらく御使いでしょう。
『神の神殿と祭壇』を測れとは、大患難時代には建っている第三神殿を指しています。「聖所」とは祭司だけが入ることのできる空間で、至聖所と聖所からなり、「祭壇」は聖所の外に置かれたもので、ユダヤ人なら犠牲のいけにえを持って近づくことができる場所です。
第二神殿は、紀元70年にローマ軍によって破壊されました。ヨハネが黙示録を執筆している時点では、第三神殿は建っていません。
『そこで礼拝している人々』の数を数えよとの内容も含まれました。測ることの意味は、【主】の所有権を示す行為であり、【主】による吟味を示す行為でもあります。
ゼカリヤ2:1~2は、【主】の裁きと関連性があります。また、【主】がエルサレムの状態を吟味しておられます。エゼキエル40:1~49では、千年王国の神殿が測られ、ヨハネの黙示録21:15~17では、新しいエルサレムが測られます。
神殿も町も人々も【主】の吟味を受け、背教の状態にあることが明らかになるのです。
『神殿の外の庭』は、異邦人の庭と呼ばれます。『そこを測ってはいけない』とは、外庭は異邦人に与えられている(委ねられている)からです。
測らないことによって、【主】が異邦人を拒否しておられることを表現しています。異邦人は、聖なる都(エルサレム)を四十二か月(大患難時代の後半の三年半)の間、踏みにじります。
エルサレムは、「アッシリア」「バビロン」「メド・ペルシャ」「ギリシャ」「ローマ」などに蹂躙されてきた歴史があります。そして、大患難時代には、反キリストとその勢力がエルサレムを蹂躙するのです。それは、次の聖句に示されています。
『2:4 不法の者は、すべて神と呼ばれるもの、礼拝されるものに対抗して自分を高く上げ、ついには自分こそ神であると宣言して、神の宮に座ることになります。(2テサロニケ2:4新改訳2017)』
『24:15 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たら──読者はよく理解せよ──
24:16 ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。(マタイ24:15~16新改訳2017)』
『9:27 彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。忌まわしいものの翼の上に、荒らす者が現れる。そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。」(ダニエル9:27新改訳2017)』
『12:11 常供のささげ物が取り払われ、荒らす忌まわしいものが据えられる時から、千二百九十日がある。(ダニエル12:11新改訳2017)』
これらの聖句からわかるのは、「反キリストは、七年の中間で平和条約を破り、自分が神だと宣言すること」、そして、「反キリストは、自分の像(「荒らす憎むべきもの」)を神殿の中に安置すること」です。
この時、ユダヤ人たちは荒野(ボツラ=ペトラ)に避難し、そこで守られます。

(2)二人の証人の活動(11:3~6)
『わたし』とは、御使いが【主】の代理人(メッセンジャー)として語っているのでしょう。あるいは、「父なる神のことば」か、「キリストのことば」である可能性もあります。どちらにしても、その啓示は【主】から来ています。
二人の証人の活動は、【主】によって許可されたものです。その活動期間は、大患難時代の前半の三年半、1260日間です(活動期間には諸説あり)。活動範囲は、エルサレムに限定され、彼らは、悔い改めのメッセージを伝えます。荒布を着ているのは、嘆きの象徴で、彼らは、【主】の裁きが近づいていることを伝え、悔い改めを勧めるのです。彼らは大患難時代の中間期に殺されます。
彼らの活動期間は、十四万四千人のユダヤ人の活動期間と重なる部分がありますが、活動範囲が異なるのです。
二人の証人が活動する目的が比ゆ的言葉で語られています。ヨハネは、読者が旧約聖書を知っていることを前提に記しています。ゼカリヤ4章に、二本のオリーブの木と一つの燭台の幻が記され、これは、イスラエルのことですが、全世界に【主】の光を届ける役割を担っているのです。その火が消えかかっている、または消えているので、そこに油を提供する二本のオリーブの木が必要なのです。そこに、油を供給し、イスラエルが光を継続して届けることができることが目的です。ゼカリヤの時代の祭司的指導者ヨシュアと政治的指導者ゼルバベルを指すと考えられています。
二本のオリーブの木の究極的成就は、大患難時代にやって来ます。ヨハネの黙示録11:3~13に登場する二人の証人がそれなのです。
ヨハネの黙示録11章では、二人の証人は、二本のオリーブの木であり二つの燭台なのです。『彼らは、聖霊に満たされたオリーブの木となり』、『大患難時代において、暗闇を照らす働きをし』【主】の真理を伝える働きをするのです。
二人の証人に奇跡的な力が付与され、彼らに害を加えようとする者は殺されます。彼らの口から火が出るとは、聖書では、「火は【主】の怒りを示す」と考えられています。
『1:6 主の激しい憤りの前に、だれが立てるだろうか。だれが、その燃える怒りに耐えられるだろうか。主の憤りは火のように注がれ、岩々は御前に打ち砕かれる。(ナホム1:6新改訳2017)』
『4:4 ユダの人とエルサレムの住民よ。【主】のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。そうでないと、あなたがたの悪い行いのゆえに、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう。」(エレミヤ4:4新改訳2017)』
これらの聖句を参照すると、二人の証人を迫害する人には、神の怒りが及び、それによって死に至るとも考えられます。
『雨が降らないように天を閉じる権威を持っている。また、水を血に変える権威、さらに、思うままに何度でも、あらゆる災害で地を打つ権威を持っている。』とありますが、これは、【主】の裁きを地上にもたらす働きです。それまでに登場した預言者の誰よりも多くの力が付与されるのでしょう。【主】の時が来るまでは、彼らは安全に守られます。
(3)二人の証人の死(11:7~10)
二人の証人は、『証言を終えると』、『底知れぬ所から上って来る獣』に殺されます。彼らは、【主】の使命を実行している間は、守られました。それが終わると、【主】は、敵が彼らを殺すことを許されるのです。
ヨハネ19:30で、イエスが使命を『完了した』と宣言された箇所に使われているのと同じ動詞の「テレオウ(ギリシャ語)」が使われています。
二人の証人の死の原因は、『底知れぬ所から上って来る獣』、つまり、反キリストのことで、『底知れぬ所』とは、アビス(アブソス)です。
これは、反キリストは、一度死ぬけれども、復活する(ヨハネの黙示録13:3~4)ことを示しています。そして、復活した反キリストが、二人の証人を殺すのです。反キリストは、キリストの真似をし、それまで誰もができなかったことをするのです。
獣(反キリスト)という言葉は、ヨハネの黙示録に10回出て来ます(ヨハネの黙示録13:1、14:9、11、15:2、16:2、17:3、13、19:20、20:10参照)。
【主】の敵(反キリスト勢)にとっては、この勝利は画期的で記念すべきものとなります。それが、二人の証人の『死体は大きな都の大通りにさらされる』理由です。その町は、大きな都(大いなる都)、つまりエルサレムです。この『大きな都』とは、人間の視点です。かつて主イエス・キリストが十字架につけられた都です。
訳語を比較してみましょう。
『その都は、霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれ』(新改訳2017)
『霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれる大きな都』(新改訳第3版)
『たとえてソドムとかエジプトとか呼ばれる大きな都』(新共同訳)
『ソドムや、エジプトにたとえられている大いなる都』(口語訳)
その時のエルサレムが堕落している状態なので、『ソドムやエジプトと呼ばれる』のです。これは、【主】の視点です。「ソドムは、性的倒錯の罪を持った町」で、「エジプトは、神の民を迫害した国」です。
『もろもろの民族、部族、言語、国民に属する人々』と記されているように、世界中の人たちが、三日半の間、彼らの死体をながめます。かつては、なぜこれが可能になるのか疑問に感じる学者が多くいましたが、今は、インターネットを介して、SNSなどで、これが可能になるのだと推察できる時代になりました。
『その死体を墓に葬ることを許さない』とは、軽蔑の行為です。申命記21:22~23は、これを禁じています。
『地に住む者たち』は、ヨハネの黙示録では、専門用語になっています。それは、『携挙の後で地上に残された人々』つまり、不信者たちを意味しています。
『地に住む者たち』は、二人の証人の死を目撃し、歓喜します。パーティを開き、贈り物を交わすようです。その理由は、自分たちを苦しめていた二人の預言者がいなくなったからです。彼らにとって、二人の証人の証言がよほどのプレッシャーだったのでしょう。彼らは、『【主】と二人の証人たち』を恐れる必要がなくなったのです。
『地に住む者たち』の間では、反キリストこそ神であるとの認識が生まれるのです。ヨハネの黙示録に記録された「喜びの瞬間」は、ここだけです。目の前の光景に歓喜しているだけなのです。
しかし、【主】の使命を果たした二人の証人が死んでも、彼らが伝えた真理は死なないのです。
(4)二人の証人の復活(11:11~13)
全世界に広がる喜びは、恐怖に一転します。文字通り『三日半の後』に、二人の証人は、「いのちの息」を吹き込まれ、『自分たちの足で』立ち上がるのです。それを見ていた人々は、【主】の力を認識し、非常な恐怖に襲われるのです。これもまた、インターネットで実況中継されるのでしょう。
『天から大きな声』が響き、人々は、さらに恐怖に襲われることでしょう。それは、『ここに上れ』という復活した二人の証人への招きです。二人の証人は、それに応答して、『雲に包まれて天に上』るのです。
二人の証人の復活と昇天は、実に特殊なものです。それは、「第一の復活ではなく」、「携挙でもない」のです。これは、「携挙」と「第一の復活(ヨハネの黙示録20章)」の間に起こる出来事なのです。つまり、【主】を信じようとしない『地に住む人々』に示される『しるし』なのです。
『大きな地震が起こって、都の十分の一が倒れた。』とあるのは、文字通りの大地震で、都(エルサレム)の十分の一が破壊されます。そして、『この地震のために七千人が死んだ。』とありますが、これは、エルサレムに下る【主】の裁きです。
『残った者たちは恐れを抱き、天の神に栄光を帰した。』生存者が感じた恐怖は、彼らを信仰に導く畏怖の念です。『天の神』という言葉は、ヨハネの黙示録に2回出て来ます(ヨハネの黙示録11:13、16:11)。旧約聖書では、『天の神』は偶像と区別するための用語で、ここでは、『天の神に栄光を帰した』とは、獣の礼拝との対比で語られています。これが救いに至る信仰の始まりとなるのです。
これで、第二のわざわい(第六のラッパ)が終わります。
(5)第七のラッパが吹かれる(11:14~19)
次に来るのは、第三のわざわい(第七のラッパ)です。第七のラッパの裁きが、最も厳しい裁きで、その中には、七つの鉢の裁きが含まれます。
第七のラッパが吹かれると、『大きな声が天に起こ』り、ヨハネはそれを聞いたのです。それまでのラッパの裁きでは、一つの声だけが聞こえてきます。第七のラッパの後に聞こえて来たのは、「シンフォニー」のような幾重にも重なった声です。
『この世の王国は、私たちの主と、そのキリストのものとなった。主は世々限りなく支配される。』とありますが、これは、父なる神(第一位格)とキリスト(第二位格)の勝利を歌うものです。七つの鉢の裁きが起こる前に、なぜキリストの勝利を歌うことができるのかについては、これが、預言的宣言だからです。
時系列的には、『七つの鉢の裁き』が『キリストの再臨』を導き、『キリストの再臨』により、『千年王国』が成就するのです。
旧約聖書には、預言がなされています。(エゼキエル21:26~27、ダニエル2:35、44、4:3、6:26、7:14、26~27、ゼカリヤ14:9参照)
『二十四人の長老たち』は、これまでに同じような文脈で7回登場しています。彼らは、ペンテコステ以降の聖徒の集合体(普遍的教会)である教会です。彼らは、『神がその権威を示し、地上の王となられた』ことを感謝しているのです。これは、『キリストの再臨』を待望した賛美なのです。
ヨハネの黙示録11:18は、詩2:7~9の成就です。
『2:7 「私は【主】の定めについて語ろう。主は私に言われた。『あなたはわたしの子。わたしが今日あなたを生んだ。
2:8 わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与える。地の果ての果てまであなたの所有として。
2:9 あなたは鉄の杖で彼らを牧し陶器師が器を砕くように粉々にする。』」(詩篇2:7~9新改訳2017)』
これは、『七つの鉢の裁き』が始まる前の天における序章です。焦点になっているのは、天における神殿で、ヨハネの黙示録15章で、その内容が詳しく説明されます。
第七のラッパの裁きの内容は、ヨハネの黙示録16:1~21で解説されています。



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