「許せ」 でも 「忘れるな」 ジョン・F・ケネディ

『敵を許すことだ。だが決してその名を忘れるな。 ジョン・F・ケネディ』

暗殺
1963年11月22日、翌年の大統領選挙キャンペーンとしてテキサス州を訪れ、この日フォートワースからダラスに到着して、市内をオープンカーでパレード中に、多くの市民が見ている前で何者か(リーハーヴェイ・オズワルドであると言われている。
彼はダラス警察に捕まり、署内でジャック・ルビーによって射殺されたため、真相は明らかではない)に狙撃され死亡した。43歳で大統領に就任してから、わずか2年10か月と2日の在任期間であった。(中略)
ヒューストン通りからエルム通りに左折してデイリープラザに入った12時30分、あたりに銃声が鳴り響き、後方のテキサス教科書倉庫ビルを含む複数個所から数発の銃弾が発射されたらしく、あたりは混乱の坩堝と化した。その間に2発がケネディに命中し、最初の一発が喉を撃ち抜き、苦痛で前かがみになりかけたケネディの頭部にあとの1発が命中して致命傷となり、後方でオートバイに乗っていた警官にまで脳漿が飛んだ。急いでパークランド記念病院に担ぎ込まれたもののすでに頭部を砕かれて心肺停止の状況であり、手の施しようの無いまま午後1時に死亡が確認された。病院から大統領専用機に遺体が運ばれ、ジャクリーン夫人が同席して副大統領のジョンソンが第36代大統領に昇格、就任宣誓が行われた。

衝撃が全世界に走った事件でした。その真相は、明らかになっていませんが、世界的なつながりを持つ勢力関与が囁かれています。彼の生前の言葉が、このフレーズです。

人種問題が色濃く残る時代に大統領を務めた彼には、様々なアプローチがあったのだろうと推察します。でも、金本位制に絡む何かが、彼に向かう銃弾の引き金になったのだろうと後世に至っても言われ続けています。

彼は、多くの支持者を得ていたが、敵もいて、その対応に心を痛めていたであろう事が、滲み出ているように感じます。

「許す」ことについては、様々な議論があります。それは、人間の世界の事の収め方を探る段階においては、大きな課題です。

古来から、同害復讐法「目には目を」という発想があります。それがある理由は、人間の心理として「倍返しをしたい」願望が出てくるからです。償い方もまた、課題なのですね。

「忘れない」と言うのは、相手の名前を記憶の留めるということです。ドンパチが起きたら、命を取るか取られるかという局面になりますが、どちらも生き残る事もあります。

悶着があった相手と冷静に話ができる人は、少数派なのかも知れませんが、その名を覚えていればその様な冷静な対応ができるのかも知れませんね。

2024年の大統領候補として、彼の甥が立候補しました。

【ボストンAFP=時事】米国のジョン・F・ケネディ元大統領のおいで弁護士のロバート・ケネディ・ジュニア氏(69)が19日、2024年大統領選の民主党候補指名争いへの出馬を正式表明した。≪写真は米ボストンで開催された集会で、2024年大統領選の民主党候補指名争いへの出馬を表明するロバート・ケネディ・ジュニア氏〈中央〉。≫
 ケネディ氏は、1968年に大統領選予備選中に暗殺されたロバート・F・ケネディ元司法長官の息子。数十年にわたり環境弁護士として活動してきたが、2005年以降は、新型コロナウイルスワクチンに関する陰謀論を提唱していることで知られる。

今まで、水面下に置かれていたことが明らかになる可能性もあります。JFKのこのフレーズは、どの様に反映されるのか、待ちたいと考えています。

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Posted by dblacks