叱責は有難く受けとめる 箴言25:12
『25:12 知恵をもって叱責する者は、聞く者の耳にとって金の耳輪、黄金の飾り。箴言25:12新改訳2017』
言い難いことを表現するのは、非常に難易度が高いです。
ある程度の年齢になると、アドバイスをしてくれる人がいなくなります。
時代背景も手伝ってか、貝のように口をつぐむ人が増えているように感じます。それも、防衛本能の表れでしょうか。
この箴言は、「知恵をもって叱責する者」という有難い存在がある前提ではじまります。
自分にとってのメンターのような存在がある人は、それだけで、優位性が高い位置にいると感じます。
そうでなければ、何をもって、有益な情報だとするかという課題があります。
例えば、自分にとって、耳が痛い言葉というものがありませんか?
または、心にチクチクくる言葉なども、その類いでしょうね。
それらは、自分にとって、大切な叱責の要素を含んでいるのかも知れません。
人間には、五感の中に、痛みを感じるスポットの痛点が点在しています。
これは、自分の身を守るために必要なセンサーとして備えられているものです。
それは、耳にも心にも存在するようです。
どうも、それが、自分にとってのウイークポイントなのでしょうね。
そのツボを刺激するのが、叱責というもののようです。
これを有益に生かせば、「聞く者の耳にとって金の耳輪、黄金の飾り」になると記されているのです。
時には、ショッキングな事もあるでしょうけれど、それを生かすマインドも大切なのですね。
このマインドは、どのように醸成していくのかが課題ですね。
人間は、創造主である神【主】が与えてくださった信仰による義の衣を着せられているという原点に立つ必要があります。
しかし、人間は、不完全で有限な肉体的生命に生かされています。
このギャップが、自分自身をいらつかせるのでしょう。
でも、究極的には「義の衣」を着せられているというイメージをもって自分自身の存在を落ち着かせる事ができるのです。
その状態からならば、この有難い叱責を受けとめるマインドになれるのではないでしょうか?
人間は、肉体的生命を離れる瞬間まで成長できるそうですから、生かされている限り学びがあるのですね。
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