信仰は後から分かることを先取りする事 盲信・盲従は危険 ヘブル11:1
『さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。(ヘブル11:1新改訳2017)』
信仰の世界にも「猛獣」が潜んでいるのが現実です。
その「猛獣」は、信者を支配しようとしていて、「盲従」する人を求めています。
私が、コミュニティである地方教会よりも、タテの関係である【主】との関係を重んじる理由がここにあります。
信仰は、【主】に対する態度です。それが成立することで、「永遠の幸福マインド」は確立されるのです。
究極的な信者の集合体は、「キリストの身体である有機体」と言われる「天的な教会」です。
目に見える教会は、地方教会と呼ばれ信者のヨコの繋がりを充実させるためのコミュニティです。
もちろん、地方教会も大切な要素だと考えています。ただし、タテの関係ができていて成立していくという基本を考える必要性を感じています。
地方教会には、カルト的になるコミュニティもありますので、それらが、信者を「盲従」させて支配する傾向があります。
信仰の基本は、自分の自由意志で、自発的に持つということです。
また、冷静に情報を集め、自分の思考を働かせて決断することが大切です。
冒頭の聖句は、信仰の本質について記しています。
信仰の望みは何でしょうか?
「目に見えないものを確信する」というのも、わかりにくいかも知れません。
福音書に記されている病の癒やしなどは、イエス・キリストがメシアである証明としてなされたモノがありです。今日でも、病が癒やされることもありますし、自分が望んでいたことが実現する事もあります。しかし、そうならない事もあります。真実は、【主】の御手の中、御心によって決まっているのです。
ヘブル書11章は、信仰の章と言われ、信仰者の先輩たちが【主】に認められた信仰を記してあります。
その中には、人類史上、最初の殺人事件の被害者になったアベルも名を連ねています。アベルは信仰で【主】の御心に適う献げ物を献げて、受け入れられました。
ノアも【主】の箱舟を作れとの命令に信仰で応答し、「信仰による義を受け継ぐ者」とされました。
ノアは、その当時では想像もできないほど、大きな木造船を【主】の命令により信仰を持って作り上げたのです。それは、40日40夜の雨が降り始めるまでは、8人以外の人は、信じなかったのです。
イスラエルの父として選ばれたアブラム(後のアブラハム)は、75歳で召命を受けて信仰で応答しましたが、約束の子が与えられたのが100歳で、土地の約束は、見ることが無いままその生涯を終えました。
これは、アブラム個人ではなく、アブラハムからはじまる選びの民であるイスラエルに対する約束で、土地の約束の成就を見るのは、まだ、しばらく先になりそうです。
これが、信仰者の現実であり、「信仰で義」とされるための応答でもあったのです。
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