真実の言葉

『次のことばは真実です。「私たちが、キリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きるようになる。耐え忍んでいるなら、キリストとともに王となる。キリストを否むなら、キリストもまた、私たちを否まれる。私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである。」(2テモテ2:11-13)』

「イエス・キリストを十字架に磔にしたのは何か?」

と言う問いに、

「人類の罪がそうさせたのだ」

というのは一つの解答です。

100%神であり、肉体に宿って100%人間でもあったイエス・キリストは、全人類の罪科を背負って、唯一の生け贄として、十字架に磔られ、贖いを完成して下さった。

それは、全人類の救済計画を成就して下さったのですね。

ただし、救いは個人単位の申告制で、それを自分のためだとして受け容れる信仰者に適用されるのですね。

幕屋や神殿の時代に生け贄を自分の身代わりに、罪を覆うために捧げたですね。

そのように、イエス・キリストご自身に自分の罪を置いて、負っていただいたという事なのですね。

その信仰が「私たちが、キリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きるようになる。」と記されているのですね。

肉体的生命に生かされている人間は、無実・無罪な生涯を過ごせるわけではありません。

ただし、イエス・キリストの十字架による贖いで無罪と見なされるのですね。

しかも、無代価で。

こんな人間にとって好都合なことは無いと思うのです。

しかし、それが、多くの人が躊躇する理由でもあるのかもしれないですね。