自分という器に収める 取捨選択難しい
不用品が出たら、自分の罪悪感を少しでも軽くしようとして、欲しいという人に差し上げようとしてしまいます。迷惑な話ですよね。
また、自分という器の容量を越えて、あれもこれも欲しいと振る舞っている自分もいます。
人間は、生きている限り、欲の塊なのかと自分自身を見ていて、あきれる時もありますが、同時に、それが、生きることなのかも知れないとも考えています。
1回取り込んでしまうと、手放すのが厄介になるし、手放さないうちにまた取り込んでしまうなどと、このような繰り返しをしています。
そろそろスペースも手狭になってきたから、処分しようと考えて方針を決めても、「ちょっと待てよ」なんてこともありますね。
このような悩みは、モノが溢れた今の時代には多いのでしょうね。
パソコンの中など最たるモノで、不要であろうデーターがゴロゴロスペースを占有している。大容量の記憶装置で、「容量がありません」とは、出てこないから放置している部分もあります。
自分という器を考えて、「よりシンプル」を目指していきたいと考えています。
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