奴隷からの解放が意味するモノ 出エジプト12:37-42

『 ◆エジプトの国を去る
イスラエルの人々はラメセスからスコトに向けて出発した。一行は、妻子を別にして、壮年男子だけでおよそ六十万人であった。そのほか、種々雑多な人々もこれに加わった。羊、牛など、家畜もおびただしい数であった。彼らはエジプトから持ち出した練り粉で、酵母を入れないパン菓子を焼いた。練り粉には酵母が入っていなかった。彼らがエジプトから追放されたとき、ぐずぐずしていることはできなかったし、道中の食糧を用意するいとまもなかったからである。イスラエルの人々が、エジプトに住んでいた期間は四百三十年であった。四百三十年を経たちょうどその日に、主の部隊は全軍、エジプトの国を出発した。その夜、主は、彼らをエジプトの国から導き出すために寝ずの番をされた。それゆえ、イスラエルの人々は代々にわたって、この夜、主のために寝ずの番をするのである。(新共同訳)』

そもそも、イスラエルの民は、ヨセフがエジプトに売られた後、イスラエルでの飢饉があって、ヨセフの兄たちが、図らずもファラオに次ぐ地位にあったヨセフの所へ食料を求めて来たことから、エジプトへの移住をすることになりました。この時のファラオはセム系だったので、イスラエルの民に好意的だったと伝えられています。

しかし、その後、クーデターでファラオが変わり、ヨセフという名宰相という名前も消し去られてしまったのかも知れません。気がつけば、イスラエルの民は、奴隷生活を送ることになっていました。飢饉の故郷から、食料のある安住の地に来たと思っていたのに、奴隷生活を送ることになるとは想定外です。。

「こんなはずじゃなかった」と考える暇も無く、奴隷として苦役に追われる日々だったことでしょう。エジプトに移住して430年後にエジプトを脱出することになるとは、どれ程の人が想像していたでしょうか?

創造主である神は、イスラエルの祖として、アブラハムをカルデアのウルから召し出して、子孫繁栄と約束の地を与えることなどの契約をしました。これは、今も有効なのです。出エジプトの時にも、これに基づいて、リーダーとするモーセを女王の養子にし、エジプトの教育を受けさせ、荒野での羊飼い生活でトレーニングをして備えていたのです。

奴隷からの救出というのは、戦術が大切です。最高権力を持つファラオが参ったと言わなければ、作戦は成功しません。

創造主である神は、人間が罪の奴隷状態にあることを明確に示すために、自分が選んだ民をその境遇に置き、全人類の救出のために、出エジプトを成されたと考えています。「その夜、主は、彼らをエジプトの国から導き出すために寝ずの番をされた」とは、「主は民と共にいた」というコトになります。

エジプトの奴隷生活から解放されたイスラエルの民が、今後、どのような心理状態になるのかを見ていくと、文明が変化をして多少便利になったとしても、本質的に人間は変わっていない現実を発見することになりますよ。

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Posted by dblacks