自発的にさせていただきたい心境
成長過程で自発的にしたいことと、強制的にさせられることとありますよね。
強制的な感覚を伴う受動的な要素と自発感覚による能動的な要素ですね。
それが、勉強でも、どうしてそれを勉強する必要があるのかが認識できれば、強制されなくても自発的に取り組みますよね。
強制的な感覚しか持てずに、やり過ごしてしまった事柄は、数十年後に、その必要性を認識して後悔するコトになるわけですね。
子や家庭のためにしなければならないことも、認識によっては「家族のためにはこのようにしてあげたい」と考えることもできますよね。
「絶対こう」と形を決めてしまうと後で困ることもあるので「より良くなるためのこんな感じ」みたいな感覚も大切かも知れませんね。
相手のことをイメージして、そのようにしたら喜んでくれるのかを考えている時が至福の時間ということでしょうね。
喜んでくれると思い込んでいたのに、結果が送り手の期待外れでも、めげないしょげないコトが大切ですね。
そして、相手がドン引きしたらスタンスを変える配慮も必要になってくるのでしょうね。
送り手の満足も必要ですが、受け手の許容範囲内でというのがキモのようですね。
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