へりくだりと幸い 箴言16:19
『19 へりくだって、貧しい者とともにいるのは、高ぶる者とともに分捕り物を分け合うのにまさる。(箴言16:19新改訳2017)』
「へりくだる」というのは、自尊心を失う状態ではありません。
また、自分は全く駄目と自己卑下をする事でもありません。自己卑下は、高慢と同じような性質も内包しています。
自己受容し、自己確立した状態で等身大の自分と向き合い、他人と優劣を争わない状態を意味します。
自分は何者なのかを問われています。
人間は、財産があっても、貧しくても、いのちの存在価値は同じです。
そもそも、優劣をつけなければならない世の中に歪みがあるのです。
知らないうちに、それに染まってしまうのが人間でもあります。
ですから、「高ぶる者とともに分捕り物を分け合う」というワナにハマってしまうことがあるのです。
「貧しい者とともにいる」と記されているのは、福音書のイエス・キリストを思い起こさせます。
地上生活のイエス・キリストは、地上の資産家ではありませんでした。
また、当時の宗教指導者たちが、忌み嫌っていた「罪人」とレッテルを貼った人たちに寄り添っていました。
そこには、お金では買えないものがありました。
それは、「愛」です。
お金があれば、立派な装いも、子分を連れて歩くことも、病気になれば高価なクスリでも医者でも自在です。
それでも、寂しさにつける薬はどこにあるのでしょうか?
「愛」は人の心から供給される豊かな癒やしです。
人に寄り添い、言葉を傾聴し、その心を受け止める事こそ、究極の「愛の行動」ではないでしょうか?
それこそ、「お金に邪魔されない」究極的なコミュニケーションです。
また、「【主】の愛」は、「永遠から永遠へ」と続くのです。
その愛に包まれてる実感が持てると幸いですね。
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