愛の構成要素のパターン モリエール
『嫉妬深い人々の愛は憎悪のようにできている。 モリエール』
「愛」は、純粋で高潔なものという幻想があります。
それは、神の愛「アガペー(ギリシャ語)」であり、人間には発揮できない種類のものです。
他にも「愛」には、「フィレオ(兄弟愛)」「エロス(性愛)」などというものがありますが、人間が表現できるものは限定的です。
まず、有限である人間は、「限界」という事実を受け止める必要があります。
人間は、生存のため子孫繁栄のために、「食欲」「睡眠欲」「性欲」を与えられています。
それは、必要不可欠な要素ですが、上手くコントロールできないと、「歯止めがきかない欲」に振り回されて、危うい方向に迷い出てしまいます。
自分の欲を遂げたくても、恋愛は相手次第の要素もありますから、残念ながら片想いでは成就に至りません。
でも、その先の気持ちの整理がさまざま出てくるのですね。
諦めがイイ人は、自分が身を引くので、自分自身の気持ちの整理ができれば、次への準備完了です。
しかし、諦められない人(執着する人)がいます。これは、解決が難しいですね。
諦められない相手の関心を自分に向けようと、あらゆる手段を講じようとするからです。
まるで、モリエールの、このフレーズのようにです。
「愛憎」と言う言葉を取り上げたこともありますが、「愛」と「憎しみ」が表裏一体になることもあります。「憎たらしいほど愛している」というドラマのセリフに出てくるようなものもあります。
また、「嫉妬」もあらゆる状況で起きる感情の変化です。
「嫉妬」「憎しみ」「愛」は、関心がある対象に対しては、特に強く出てくるのですね。
「好き」と言い続けていた人が、その気持ちが成就できないと感じたら、手のひらを返すように、「憎しみ」を掻き立てられて、誹謗中傷をしたり、時にはストーカーになったり、その人の人生に立ちはだかったりすることがあるのです。
誰よりも、自分のメリットがない状態で、嫉妬と憎悪の負のスパイラルに堕ちていくのは、悲しいですね。
ここに、誰かを巻き込むという発想は、悪魔的なのかと感じるほどです。
できるだけ、自分自身の気持ちに気づいて、リスタートをする習慣が持てる人は、自分も周囲も幸福になれる近道なのかも知れませんね。
モリエール(フランス語: Molière)として知られる、ジャン=バティスト・ポクラン(フランス語: Jean-Baptiste Poquelin、1622年1月15日 – 1673年2月17日)は、フランス王国ブルボン朝時代の俳優、劇作家。ピエール・コルネイユ、ジャン・ラシーヌとともに古典主義の3大作家の1人。悲劇には多くを残さなかったが、鋭い風刺を効かせた数多くの優れた喜劇を制作し、フランス古典喜劇を完成させた。
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