「知りたい」から「知らなくてもイイ」という気持ちに
私には、何に対しても興味津々な時代があり、何でも知りたいという詮索欲がありました。
傾聴やカウンセリングを続けてきて感じている変化があります。
今の心境は、「知らなくてもイイこともあるな」という事です。
人生の一寸先は「闇」なのか? 「希望」なのか? 人間には予測がつかないことが多いです。
それを考えると、知っている事が、有利に働くケースのイメージが強いと感じます。それだけではなく、知らないことにも有利なことがあります。
一方、自分に与えられた課題についての情報は、その過程で必要な情報はできるだけ、タイムリーに得られるように願います。
それでも、タイミングが大切だと感じます。
明日の時点での最新情報が必要ならば、今日知る必要は無いし、毎日のアップデートも要りません。
自分で、ゴールに向けたプランの中で、タイムリーに情報が得られれば良いわけです。
現代社会の便利さの一つは、情報が多いことにあります。
でも、情報が多すぎるために、それを選別する作業が必要になるという課題も浮き彫りになっています。
性格的にも、性別的にも収集癖はある方なので、興味を持っている分野では、情報収集をしているのですが、その整理が杜撰なために、その情報が役に立たないこともあります。
特に、文字ベースで保存するならば、検索にかかるのですが、画像では検索が難しくなります。
このあたりは、私の今後の課題です。
さて、地上波テレビから流れでている情報は、どれくらい必要なのでしょうか?
それを各自が、それぞれの立場で、吟味していく時代です。
インターネットの情報は、検索ができるので、自分がたどり着きたい所まで、到達できる人は幸せです。
でも、たどり着ける範囲の情報の多くは、誰かが示したい情報であることが多いように感じています。
この類いの情報は、興味を持つように、つくられていますが、自分の生活の核の部分には大きな影響を与えない情報が多いのではないでしょうか?
これも、「知らなくてもイイ」事なのかも知れません。
知識欲は、「知りたい」と訴えながら、人を突き動かしますが、それを知ったなら、生活の知恵として、活用できるデータベースとして、自分の中に構築していけるようにしたいものです。
家族の間でも、一から百まで、知らないのが現実です。それを踏まえれば、情報開示は、必要最低限の内容で良いのではないでしょうか?
根掘り葉掘り聞きたくなる気持ちも、お察ししますが、相手が開示するまで待つという姿勢も大切ですね。
また、それを受けとめる心の準備をしておくことが最重要なのだと考えています。
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