媚びるのか? 誇るのか? キルケゴール
『女というものは、目の前を通った他の女が自分に注目したかどうかを直感的に悟る術を心得ている。というのも、女がその身を飾るのは、男に媚びるためではなく他の女たちに誇るためだからである。 キルケゴール『追憶の哲理』(大地書房)』
このフレーズを見ながら、思わず「うーん」と唸ってしまいました。
もちろん、「なるほど~」という気持ちもあります。
そもそも、「メイクアップやファッションの目的は何?」という問いは、以前からあります。
男性も、メイクアップをして着飾る時代ですから、女性の中でも敏感な方は、特に、そのような指向性が強くなるのも当然なのでしょう。
Yoasobiというユニットのikuraさんが歌う「アイドル」がストリーミング再生4億回越えなども話題になっていますが、それほど多くの人が魅力を感じる要因があると言うことですね。
かつて、化粧品が普及しだした頃には、身だしなみやマナーという売り文句を聞いた記憶があります。
それよりも、強い動機となり得るのが、キルケゴールのこのフレーズなのかも知れませんね。
その根底にあるのは、「私はイケているのか?」という事でしょうか?
それは、その魅力で、意中の男性の気を惹くという部分もあるのは自明のことです。
でも、それよりも、パーティーなどの光景をイメージすると分かりやすいと思います。
ファッションに関して、主役の女性よりも目立たないという最低限の線を共有しつつ、色やスタイルのかぶりがないかどうかが、最大の関心事となります。
自分だけ目立てば良いという人も希にはいるようですが、周囲との関係性は、それなりの緊張感が伴っているのではないでしょうか。その路線も、ファッションゲームとして楽しむ大らかさを感じないことが多く、自分のすべてを賭けた戦いのような様相は、その場を凍り付かせたりするようです。
どれだけ派手な格好をしてみても、気品の良い身のこなしが美しい、気遣いができる女性には叶わないのですよね。
でも、お金に糸目をつけずに挑む果敢な姿勢は、まるで関ヶ原に向かう武士達のようです。
何を着るか、何で装うかという発想から、視点を変える必要性がないでしょうか?
自分を受容し、自己充足した人が、自分に合った着心地が良い装いをする事の方が、自然体で振る舞えるように思うのです。
原色が似合う人もいますが、かなりハードルが高そうです。
人生には、コワいもの知らずで、果敢に攻めるという時期も、大切な経験かも知れないですね。
女同士の戦いに巻き込まれて、命を落とす男性が出ないことを願いつつ…。
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