自分の持ち分をわきまえる大切さ 箴言22:29
『29 仕事に熟練した人を見たことがあるか。その人は王の前に立つが、無名の人の前には立たない。 箴言22:29新改訳2017』
お節介、でしゃばりなどは、かえって混乱を招くことがあります。
「仕事に熟練した人」という表現からイメージするのは、ベテラン職人さんです。
今まで、様々な現場で、職人さんとお話しをさせていただきましたが、自分の軸がしっかりしている方が多かったです。それは、当然と言えば当然なのです。自分の持ち分の技術をキッチリ提供するためには、とても大切な事だからです。
しかし、現場は職人の思い通りにできるものではありません。
施主さまの理想を叶えるために、元請けがいて、現場監督が仕切ります。職人にも、各分野の人たちがいます。
その中で、自分の役割をきちんとしている人が、「仕事に熟練した人」なのだと考えています。
これは、職人に限らず、人生の中で自分の役割への忠実さが問われているように感じます。
世の中には、アピール上手な人もいますが、技術や土台がないと、ただの目立ちたがり屋と評価されます。
一方、技術も土台もしっかりしているのに、なぜか埋もれている人もいます。
王政の時代には、「王の前に立つ」というのが、生死をかけたものだったようです。
仕事が完璧でも、王様の機嫌を損ねたら、いのちを獲られかねないからです。でも、自分の仕事を褒めてもらえるのであれば、召喚に応じたいですよね。
仕事というのは、生活の手段でもあり、経済的な流れが付き物です。一義的には、等価交換で行うものです。
でも、自分の仕事を手抜きせずに行いたい人は、見積の時間や材料費を超えても、キッチリしたいと聞きます。今は、極々、少数ですね。
その様な考え方を持てる人は、自分を俯瞰する視点を持っているようです。
それは、神の視点と考えることもできます。
ここで、それぞれが積み重ねてきた「神の感じ方」が現れるような気がしています。
自分が持てる限りのマインドで、自分の役割を果たすという気持ちは、惜しみなく、相手の期待を越えていくことでしょう。
これが、相手の顔色ばかりを窺っていると、大切な何かが置き去りにされるかも知れませんから気を付けたいものです。
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