人間は平等、創造主である神【主】の前には 箴言22:2
『22:2 富む者と貧しい者が出会う。どちらもみな、造られたのは【主】である。箴言22:2新改訳2017』
創造主である神【主】が、人間を創造したのなら、どうして、これほどの貧富の差が生まれるのだろうか?
これは、私の素朴な疑問です。きっと、共感して下さる方もいると思います。
それには、人をどのように評価するのかの基準が曖昧です。
ここでは、「富む者と貧しい者」というものさしで分けています。
この時に、自分はどちらか? の立場に無意識に立って考えているのです。
その富とは、自分に任されている資産なのか? 現金なのか、それとも、可能性なのか?
何を基準にするかによって変わってきますね。
でも、別の角度から見ると、創造された人間には、平等に【主】の愛が注がれています。
その愛は、信じる者に、永遠の祝福を保証しています。
また、人間には【主】からの役割が使命として与えられてもいます。
何をもって、平等とするかは、人間には理解不可能な領域なのだろうと考えています。
人と比べると自分だけ、損をしているようにも感じるコトでしょうね。
ただし、創造主である神【主】の前には、人間はアダムから伝わる性質を受け継いでいます。
それは、残念ながら「罪の性質」というものです。これは、人間の財力や努力ではどうしようもありません。
その解決策は、創造主である神【主】による信仰と恵みによる解決しかないのです。
その方法では、信仰のみ、無代価で【主】との正しい関係に導かれます。
人間同士で、争っている場合ではないのです。
それよりも、天を見上げる必要があるのです。
それは、「福音の三要素」を受け入れることです。その内容は、メシアであるイエス・キリストが、自分の罪をすべて背負って、十字架に架かり、贖いを完成して死んだこと、葬られたこと、そして、三日目に復活された事を認めて受け入れることです。
これを信仰といいます。そうすると、【主】は、信仰者を神の子として、聖霊を内住させ、聖徒という立場にして下さるのです。
これこそ、全人類の一人一人に、用意された平等な機会なのです。
人生には、富める者にも、貧しき者にも、一筋縄ではいかない苦労が付き纏います。
しかし、永遠への扉は、平等に開かれているのですね。
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