有難いをスタートに設定すること
「有難い」と言うことについて、ずっと考えています。
この表記の仕方をする前は、「当たり前」と決めつけていたことが自分の中で圧倒的に多かったです。
自分の存在を一つ考えても、有難いのです。
それは、私が誕生するのに、先祖の数がスゴいカウントになる事も一つあげられます。
生物学的な両親からさかのぼると、「10代前で1024人」「20代前で2,097,150人」「30代前で1,073,741,824人」となります。
この計算は、シンプルに2の倍数を集計していますので、実際の人数は分かりません。
でも、この世から卒業された先祖も、かなりの数いらっしゃったのですね。
本当に、ビックリです。
自分の風貌や才能などをどのように受けとめるのかの考え方は様々です。
また、生まれた環境、養育環境、教育環境など、自分では、どうすることもできないことの受け止め方もあります。
コンプレックスに感じるコトが無いという人は少数派なのかも知れません。
それを感じるとすれば、自分のありのままを受け入れられないからではないでしょうか?
変えられないことは、過去のこと、自分で直接行使できなかったことなどです。
バックトゥーザフューチャーという映画がありました。
デロリアン号に乗って、過去に生き、自分の両親の若かりし日を観察しつつ、小細工をしてしまいそうになるというSFです。
両親の恋愛が発展しないと、将来いる自分の誕生さえもなくなるという主役にとってはハラハラドキドキする展開が面白かったイメージがあります。
実際には、自分の過去に対して、そのような変更などの操作はできません。
それができないものは、認知するのが一番の選択だと考えています。
つまり、そのラインを自分ではどうすることもできない有難いラインに設定するのです。
そうすることで、そこから、プラスになったことを「有難い」と認識する考え方ですね。
もし、マイナスになったら、その事実を認めて、「人生にはその様なこともあるよね」と受けとめるマインド設定にするのです。
人生の中には、理不尽が多いですから、避けられるモノは避けて、受けとめるのは必要最小限でと考えたいモノです。
どのような中でも、「有難い」と言うマインドを保っていきたいと考えています。
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